住ムフムラボ住ムフムラボ

近藤雄生

近藤雄生/ライター

子どもができると夫や妻は「親」になる。 海外で5年間、放浪の旅を続けて帰国した「遊牧夫婦」が、やがて「遊牧家族」に変わっていく日々を。

第23回 友達をもつことは、自分をつくること

 前回書いた、次女が保育園に行きたがらない日々は、結局2カ月ほど続くことになった。一応そこそこ行ってくれるようになったのは8月の後半に入ってのこと。そしてその後も、「行く時々行かない」といった日々を送っている。

 原因はおそらく、友だちや先生とのコミュニケーションがうまく取れないことなのではないかという気がしている。保育園に行くと自分の意思がどうにも思うように表現できず、様々な心配や心もとなさを抱え込んでしまっているらしいことがわかってきた。

 特に、友だちが「あそぼう」と近づいてきてくれても、なかなか返事をすることができず、黙り込む。それゆえ徐々に友だちに誘われる機会が減っていったのが、次女には寂しいらしかった。
「〇〇ちゃんが、もう、あそぼうっていってくれへんねん」
 家でそう打ち明ける。本当は返事をしたいのだけれど、それができない。自分でもどうしていいかわからないのだろう。意思が明確になり、かつ、遊びたい友だち、気の合う友だちがはっきりとしてくる時期だけに、それが彼女にとって大きなストレスになっているのではないかと想像している。

 3〜4歳ぐらいまでだろうか、子どもは、初めて会う相手でも、年齢が近いというだけで、すぐ親しくなる。たとえば、ぼくの友人家族なんかと会う場合、向こうの家族に同い年くらいの子がいるとわかると、それだけ子どもは「やったー、あそぶ~」と喜んで、「早く会いたいなあ」と顔をほころばせる場合が多い。そして会うとすぐに、相手の素性を一切知ることもないままに、「なにする?」などと言って手近なおもちゃで遊びだし、別れ際には十年来の友だちのような名残惜しさを表したりするのである。

 その状態からだんだんと、合う合わない、好き嫌いという感情を持つようになる。そして、5歳、6歳にもなると、○○ちゃんが好き、〇〇くんと遊びたい、という気持ちがはっきりしてくるようである(個人差はだいぶあるのかもしれないけれど)。


 現在小3の長女には、親友と呼べる友だちがいる。保育園時代のクラスメートで、年長組のころからよく遊ぶようになった子であるが、残念ながら小学校が別々のため、きっと卒園とともに疎遠になっていずれ関係は自然に途絶えていくのだろうと想像していた。
 何しろ自分たちで連絡をとったり会いに行ったりできるわけではないし、小学校に行けば、それぞれに毎日会う新しい友だちができるはずだからだ。

 しかし驚いたことに、二人は連絡を取り続けた。電話やメールはできない中で、手紙でやり取りを続けたのだ。まだ文字も満足に書けない小1時代、長女のそよは、「はな(相手の子)に、てがみかくー」と言って、色のついた可愛らしい紙に、大きく字で、たとえばこう書いた。

<はなへ またいっしょにあそぼうね そよ>

 そしてそれを封筒に入れ、妻かぼくが住所を書いて投函する。すると、10日後ぐらいに返事がくる。それにはたとえばこんな言葉が書かれている。

<そよへ うん、あそぼうね。つぎのにちようび、あそべる? はな>

 連絡の悠長さも文面の短さも、まるで万葉集の男女の問答歌のようであった。その微笑ましいやり取りを傍らで見て、「日曜日の予定はどうですか」などと親同士で連絡を取りあって遊ばせるのだが、二人は粘り強くそのように連絡を取り続け、まずは1年にわたって関係をキープしたのである。

 そして2年になると一緒にスイミングスクールに通うようになり、週1回は必ず顔を合わせる流れができた。そのうち加えて月1回ぐらいのペースで、はなちゃんがうちに泊まりにくるようにもなった。日取りが決まると、そよはいつも、「あと7回ねたらやな」「あと3日やな」「明日やー! 楽しみー!」などと言いながらその日を待つ。
 そして当日は、朝から晩まで、次女も含めて3人で本当に仲良さそうに遊び、夜、突然スイッチが切れたように並んで寝て、また翌日、早朝から遊び出すのだ。長女はもはや、同じ年であればだれでも嬉しいという時期はとうに過ぎた。むしろ、相手の合う合わないがはっきりとある。そうした時期に、すなわち、自ら友だちを開拓しなければならない年齢になって、このように気の合う友だちと出会えたのはとても幸せなことであり、本当にありがたいことだとよく思う。見ていて羨ましくもなる。

 もちろんこの関係が今後どう変わっていくかはわからないし、いずれ離れていく時期もあるだろうけど、二人の姿を見ているとなんとなく、何十年かたった後にも行き来して、大切な経験を共有している姿が想像できるような気がするのだ。


 話は自分のことへと一気に変わるが、先日、10代のころから仲がいい、親友と呼べる友人の奥さんが、若くして亡くなった。5年の闘病を経たのちの、30代での他界だった。途切れ途切れながらその経過を聞いてきて、時々会ってきた彼女の死は、自分にとってもとても残念な出来事だった。友人にとってどれほどのつらい出来事かは、想像することもぼくにはできない。

 家族と親しい友人たちだけで行われたお別れの会と葬儀の際、ぼくは、同じく10代から知るもう一人の友人とともに、妻を失ったばかりの親友の姿を見守った。
 斎場での最後の別れの時を終え、お骨となった妻を抱えて挨拶をする親友の姿を見ながら、彼を知るこの20年以上の間のいくつもの場面が思い浮かんだ。そしてもう一人の友人とともに、また来月会おうと約束して、ぼくは新幹線で京都に戻った。

 ともに年齢を重ねてきた友だちの大切さを、この日ほど強く感じたことはなかったかもしれない。あと10年、20年、30年、きっと彼らとはこれからも、お互いの人生の重要な時を共有していくような気がしている。あるいは人生が終わるまで。


 次女はいま、個対個として人との関係を作り始める最初の段階を生きている。そこで一つの壁に直面してもがいている。そして長女は、いずれいま以上に大切な存在になる友人との第一章を、構築しているところだと言えるかもしれない。それぞれが作り上げていくだろう人との網目を、少しずつ離れながら、見守っていたい。

コラムニストから選ぶ

PAGETOPへ