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近藤雄生

近藤雄生/ライター

子どもができると夫や妻は「親」になる。 海外で5年間、放浪の旅を続けて帰国した「遊牧夫婦」が、やがて「遊牧家族」に変わっていく日々を。

第22回 はじまりは「あの日から」だった?

 6月の後半から、次女のさらが保育園に行きたがらなくなった。急に、それも激しく、である。
 現在5歳、保育園は3年目で“年中”の学年。2年前、園に入りたての1カ月目を過ぎてからはこんなことはなかったので、いったいどうしたのだろうと困惑しながらこの2週間ほどを過ごしている(この原稿を書いているのは7月の1週目)。

 6月下旬のある朝、なぜかいつも以上に保育園に行きたがらなかった。今日は機嫌が悪いなあと思いつつ、「行こうよ、行ったら楽しいから」と説得すると、なんとか重い腰を上げてくれた。そして翌日も同じような状態が続いたのだが、その夜から、「保育園、いやや」と言って泣き出して、翌朝、起きてくると「いやや、いやや、いきたくない……」と号泣し、朝食も食べずにソファに張り付き一切動くのを拒否する状態になったのだった。

 何かあったのかな。でもまあ、誰でもなんとなく行きたくないときってあるよなあ。無理やり連れて行くことはできるだけしたくなかったし、そんなことをしたらますます行かなくなるかもしれない。
 またそもそも、気づけばすっかり乳児から幼児らしくなった次女は、もはや力ずくで自転車に乗せて保育園に連れていけるようなサイズではない。結局、とりあえず今日は仕方ないかと家で仕事をすることにして、保育園を休ませた。

 その日は金曜日だったこともあり、週末を越えたらすっかり忘れてまた行ってくれるだろう。そんな期待をしていたのだが、そう簡単ではなさそうだった。土曜日に、「今日はさらの好きな休みの日やなあ。うれしい?」と聞くと、「うれしくないし。明日の明日、保育園やろ。また保育園の日が近くなるから、いやや」などと言い、その言葉通り、週明けからもずっとこの状態が続くようになったのである。

 毎晩、寝る前ぐらいになると「保育園、いやや。明日、いかへんしな」と言い、朝になると、「いややー」と号泣して突っ伏してしまう。

 妻が仕事に行く日には、長女と妻が順に家を出ていくのを、ぼくと次女とで見送るのだが、その際もこれまでになく寂しがる。それから洗濯物を干したりした後、ぼくが次女を保育園に連れていく流れなのだけれど、いくら行こうといっても、硬い岩盤のようにソファにぴったり貼り付いて動かない。
「帰りにアイスを買ってあげる」「好きなおもちゃを持っていこう」
「お父さん、もう行かないといけないから、じゃあ、一人でお留守番やで」
 など、あれこれ言っても一切だめ。

 そしていよいよ丸一日保育園に預けることは諦めて、
「お昼寝の前に迎えに行くから」
「早く迎えに行って、帰りに絵本を買ってあげるから」
「お母さんに早く迎えに来てもらうようにするから」
「さらがいいって言うまで、朝お父さんも保育園に一緒にいるから」
「今日はカオルちゃん(=祖母)が早く迎えにきてくれるって」
 などと、ありとあらゆる好条件を提示して説得にかかると、1時間ぐらいの交渉を経た後、上記の条件のいずれかでなんとか手を打ってくれることもあった。そうして定時に30~40分ほど遅れて保育園に送り届けられる日もあれば、何を言ってもだめで断念して家で一緒に過ごしたり、祖母に預けたりする日もあるのだった。

 ぼくの仕事が必ず定時に行かなければならない類のものだったらこちらももっと必死になって、おそらく娘もそれを察知して諦めるのだろうけれど、彼女は、自分が保育園に行かないと言い続ければ、おそらくお父さんは家で一緒に過ごしてくれるか、早めに仕事を切り上げて迎えに来てくれる、とわかっているのだろう。
 
 また、ぼくはぼくで娘が、保育園行くよりお父さんといたい、とか、お父さんといたら安心、などと頼ってくれると、「そうかあ~」と顔がほころんでしまい、「お父さんは攻めれば落とせる」と、おそらく見透かされているのである。

 しかしいったいどうしたのだろう。何が原因なのだろう。本人にいくら聞いても、保育園で特段何かあったようではない。先生たちはいつも温かく見守ってくれているし、友だちもみな優しく接してくれているように見える。精神的に一段階成長する過程なのかもとも思ったが、それもどうも腑に落ちない。ただそうしてあれこれ考えているとき、ふと、あることに気が付いた。

 そうだ、行きたくないと言い出したのは、6月18日の朝に起きた巨大な地震の直後からだったのだ。そして、地震のあとの情報番組で、大きな地震などの後に子どもが幼児返りすることがあると言っていたのを思い出した。まさに、それではないだろうか。周囲の人に確かめると、同様に、地震の直後に何かを怖がり出すなど行動が変わったという3人の子の話を聞いた。考えるほどにそうらしい気がしてきた。


 あの朝、ぼくは珍しく、朝から人と会う約束があり早々に家を出ていた。
 自転車に乗っていると、突然「ゴゴゴオオーー!」というものすごい音がした。なんだ、突風か?と思ったと同時にスマホが不穏な音を鳴らしながら「地震です」と声を上げた。
 え、突風のあとに今度は地震? などと混乱したが、数秒後に、あ、さっきの爆音は突風じゃなくて、地面が動いた音だったのか!と気がついて驚いた。自転車をこいでいたせいかそれほど揺れは感じられず、自分にとってはとにかく巨大な音として認識した地震だった。 

 一方、その日は妻が休みで、ぼくは家を出ていたため、妻が次女を保育園に送ってくれることになっていた。そして家では、長女の出発後、妻と次女の2人だったときに地震が来た。
 家は激しく揺れた。妻にとっては阪神大震災以来の大きな揺れ。驚いているうちに揺れは収まり、そのあと2人でリビングの机の下に隠れたという。小さな机なので次女が入るスペースしかなく、妻はその隣に横たわっただけ。すると次女は笑っていたという。

 当時の様子を次女に聞くと、言った。
「さらしか机の下に入れへんくて、お母さんはお尻が外に出てたで」
 それらの言葉からは、地震を怖がっていた、という印象は受けなかった。しかし実はそうではなかったのかもしれない。「じしん」という言葉は知っていても、それがどういう現象なのかはわかっていない。

 おそらく彼女にとっては生まれて以来5年間、一切疑うことのなかった生きる基盤がいきなり猛烈に揺さぶれるような体験だったとも想像できる。揺れが原因という意識が本人になくとも、その後、何か不安な気持ちに襲われるようになったのかもしれない。

 同じく地震後に子どもに異変があったという友人は、揺れそのものよりも、その後の大人の動揺ぶりに怯えたのかも、と言った。まさにそれもありそうに思えた。自分たちも地震のことをその後話題にしすぎたのかもしれなかった。

 いずれにしても、おそらく地震は、無意識であれ、彼女の身体の芯の部分を揺さぶって不安を引き出す体験だったように思う。それがそのまま2週間以上継続しているということなのではないかと推測している。

 そしてふと思い出す。3年前、妻がしばらく家を離れなければならなかったときのことを。あの日々もきっと、娘たちにとっては、一心同体のような存在である母親が不在になり、根幹が揺さぶられるような時間だったのではなかったか。当時5歳だった長女は連日ぼくのそばで泣き続けた。そして2歳だった次女もまた、ぼくのそばでただただ泣き続けた……。はずであった。が……、あれ、念のために確認すると……、あれれ……? 

 以前この連載でそのときのことを書いた回を読み返すと、どうもそうではないらしかった。さらはずっとけらけらと笑って過ごしていたと書いてあるではないか……。そして地震のときも笑っていた……。
 いや、そのとき笑っていたとしても、きっと内面は揺さぶられているのだろう……。

 などと書いてみながら、だんだんと、よくわからなくなってきてしまった。 
 もしかすると自分は、無理やり娘の行動に理由を見出して納得しようとしているだけなのか? タイミング的に確かに地震が関係してそうに思いつつも、単なる偶然と言えなくもない……。

 一つの原因に絞り込もうとする必要はないのかもしれない。むしろ次女とすれば、「○○だから保育園行かないんやな。それなら大丈夫やし、行こうー」などと単純化されて丸め込まれることを嫌うようにも思える。などと考えていると、次女の声がどこからともなく聞こえてくるような気が……。
 勝手にさらの気持ち、分析しんといてやー。そんなに簡単やないで。明日も保育園いかへんしなー。

 うん、確かにそうなのかもしれないな。お父さんの想像なんかには収まらないところまで成長しているのかもしれんな。でも、地震が原因だとしたら、大丈夫やし、安心してな。
 などと頭で想像しながら、こうも願う。
 明日はお願い。なんとか、保育園行ってやー。

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