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平川克美

平川克美/立教大学大学院特任教授

人生の「後退期」もまた楽し。おもしろい話は家のまわりにいくらでも転がっている。 50歳を過ぎたあなたに届けたい達人の「住まい方」指南。

第24回 路地裏映画館⑥『殺人の追憶』—それでも時間は進む。

 以前、ここに韓国映画の水準の高さについて書いた(イ・チャンドン監督の『オアシス』の凄みについて)。
 その思いはますます強くなっている。最近の人気作である『タクシー運転手約束は海を越えて』(チャン・フン監督)では、光州事件(1980年)といった韓国の暗部である事件を題材にして、よくぞここまで味わい深く、かつ面白い作品をつくりあげたものだと感心した。

 映画の中盤以後は、ドイツ人記者とタクシー運転手による戒厳令下の光州からの脱出劇で、誰かが言っていたように『マッドマックス 怒りのデス・ロード』風味なのだが、それが単なるカーアクションでは終わっていない。権力から見放された弱者たちが自らの未来を切り開くための勇気と決断がこちらの胸に迫ってくる。かれら、普通の人々が生き延びていくために連帯へと導かれていく姿に涙が止まらなくなった。

 二枚目でもなく、かといって三枚目でもないソン・ガンホという役者を持っている韓国映画は、これから先もシリアスでもコメディーでもなく、まさにそこに在り、ここに生きているような現実をスクリーンに映し出してくれるだろう。

『タクシー運転手』の印象はあまりに強かった。それで、わたしの韓国映画渉猟にまた火がついてしまった。
何かいい題材がないかと探していたら、韓国で作品化され、日本でもリメイクされたという『殺人の告白』という映画が目についた。ふーん、韓国が先なのね。では、その順番で観てみようということで、韓国版『殺人の告白』を観た。2012年の作品である。

 タイトルの通り、連続殺人事件の時効が過ぎてまもなく、わたしが犯人ですと名乗り出るものがあらわれるところから物語が始まる。しかも、その告白者(パク・シフ)は、殺人の告白本を出版し、これが大当たりする。告白者はクールな二枚目で、瞬く間に人気者になっていく。本には、犯人でしか知りえない警察未発表の事実がいくつか記されていた。
 マスコミはこの告白者に飛びつき、テレビのニュースショーで、担当の刑事と告白者が対決するという企画を立て、それが実現するのだが、この対決の最中に電話がかかり、自分こそ真犯人であると名乗り出る男が現れるのである。

 これだけで、この物語的には十分に面白いのだが、これを映画作品としてリアリティのあるものに仕上げてゆけるかはまた別問題である。韓国版は大変よくできた娯楽作品として仕上がったが、娯楽作品としての域を超えることができたかといえば、やや不満も残った。

 一方、2017年に公開された『22年目の告白―私が殺人犯です―』(入江悠監督)は、告白者として藤原竜也を起用し、怨念の刑事役には伊藤英明という二枚目役者を使っている。リメイクしたのは、題材の面白さゆえであり、その意味では、もし韓国版を知らなければ、なかなかスリリングな展開の映画じゃないかということになるのか。

 しかしそれは、これがもし「火曜サスペンス」だったらということである。話としては面白くとも、映画でしか描き出せない重量というものがどこか欠けている。まあ、どんな場合でも、リメイク版は最初の作品に及ばないというのが相場なのかもしれない。
 この欄で紹介した『ドラゴン・タトゥーの女』にしても、それは言えることであった。ただ、こちらのリメイク版は役者がとても素晴らしく、十分に堪能することができた秀作であることは断っておきたい。

 さて本題はここから。
 この韓国版『殺人の告白』について調べてみたら、この映画は1986年から1991年にかけて大韓民国の京畿道華城郡で起きた韓国最初の連続殺人事件(華城連続殺人事件)にインスパイアされたものであるという記事が出てきた。そして、その事件をテーマにした作品が『殺人の追憶』であるという。

 わたしが、『殺人の告白』の韓国版、日本リメイク版を観終わったのは、深夜1時をまわっていて、それからもう一本観るということになると、翌日の仕事に差しさわりが出る。
それで、後日ゆっくりと観ることにしようかと思ったのだが、気になってしょうがないので最初のさわりだけちょっとだけ観てみることにした。

 これがいけなかった。青空の下に広がる広大な畑と、細く長いあぜ道のシーンだけで、いきなりわたしはこの映画に鷲掴みにされたような気持になった。そして登場するのが、『タクシー運転手』で見事な演技を披露してくれたソン・ガンホである。

 結局わたしは、この映画を最後まで観てしまい、翌日は寝不足状態で出社することになってしまった。何故、この映画がそれほど強くわたしを捉えたのか。それをうまく言葉にすることができない。ただ、映画を観ている間中、そのひとつひとつの光景が放つ空気の中に浸り続けていたいという気持ちになってしまったのである。

 それを一言で言うなら「ずっと、このまま見続けていたい」という気持ちである。もし、その作品が、心温まるヒューマンドキュメントだったり、美しい風光を背景にした恋愛物語だったりしたら、そうした気持ちになることもあるかもしれない。
 しかし、『殺人の追憶』は血なまぐさい連続殺人事件を題材にした映画であり、美男美女の恋愛物語もなければ、ひとを幸福な気持ちにさせるハッピーエンドもないのである。

 わたしの中で、何が起きていたのか自分でもよく説明できないのだ。

 映画について語るとき、「感動した」とか「素晴らしい」といった形容はおよそ、何の意味も持たないし、むしろ禁句というべき言葉だろう。しかし、「何がいいのか説明できない」というのも、ひどい言い草だと言わざるをえまい。
 確かに、主演のソン・ガンホや、同僚の刑事を演じたキム・サンギョンの演技は出色であり、とりわけ知的障害を負った容疑者として登場するパク・ノシクの演技は奇跡的なものであった。それでもわたしは、この映画が、深いところでわたしに伝えてくるメッセージの何に惹きつけられるのかうまく説明できないのだ。

 それが映画作品であれ、小説であれ、絵画であれ、何故自分が惹きつけられるのかうまく言葉にできないということはあり得るだろう。誰もが、自分のことはよくわからないように、身近なところに不条理や不可解は闇を広げている。

 シリアスな韓国映画に共通するベトナム戦争の影響や、軍政下の不安定な世情も、この映画の陰影を濃くしている。しかし、それだけではただの紋切り型の政治的メッセージにしかならず、場合によっては映画そのものの結構を毀損してしまう。

 映画の最後の場面は、オープニングとシンメトリカルな構造になっている。その間には17年間の時が流れている。それでも、青い空と、一面に広がる緑の畑は変わらない。事件は未解決のまま、時だけが流れ、その舞台になった自然は、人間の所業には無関心のままである。

 この映画からわたしたちに伝わってくる言葉にならない何かとは、この自然の無関心と、その下で繰り広げられた絶望的で必死な人間たちの執着との関係であり、不条理の落差ともいうべきものだったのかもしれない。

 未解決に終わった連続殺人事件の発端になったあぜ道の脇の用水路のトンネルをのぞき込む刑事は、さながら『白鯨』で、沈没船が作った渦をのぞき込む少年イシュメールのようであり、わたしたちもまたこの刑事と一緒に、自然と人間の間の落差がつくる光景をのぞき込んでいるのである。

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