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かぞくのカタチ

家が職場、職場が家

三島邦弘

三島邦弘(ミシマ社代表 編集者)
今をときめく出版社「ミシマ社」のオフィスは会社というより家である。
なぜ「家」なのか? 家だと何が違うのか? へっぽこ代表兼編集者のコラム。

かぞくのカタチ

家が職場、職場が家

第16回 「ミシマ社以前」中編

 会社員時代とミシマ社創立後をつなぐ時期——。
 これまでミシマ本人が積極的に語ることのなかった11年前、いったい水面下で何が起きていたのか?
 2006年春。まだミシマ社を立ち上げようと思ってもみなかった当時、ミシマの中ではすでにその会社で働くことの限界を迎えていた。
 出社拒否、それに伴う上層部からのいやがらせ、及び有言無言の数多のパワハラ、それに屈しまいとするミシマ、そう息めば息むほどひどくなるイジメ、終わりの見えない悪循環のスパイラル……
 という状態に陥っていたのか。あるいは——

「ちわーす」
「お、今日も元気に出社してるね。んじゃ、あの原稿よろしくね!」
「はーい。お任せあれ〜」
 そう言うやいなや、シャカシャカと著者にメール。送信後間髪おかず、電話を1件かけたかと思えば、営業部に飛んでいき、「◯◯の動きどうですか?」「おお、いいですね。売り伸ばしのミーティングしませんか?」などと部署をまたぐ率先的動き。まさに八面六臂の活躍の日々……。
 こんなふうに、会社生活に限界を迎えているとは誰もがつゆ思わぬ時間を過ごしていたのか。

 事実は、むろん、どちらでもない。
 多少、前者の要素があったかもしれず、多少、後者の要素があったかもしれない。いずれにせよ、あったとしてもあくまで多少。
 おそらく、多くの日本の働き手たちがそうであるように、ミシマもまた、表面的には硬さと鬱積した不満を滲ませつつ、淡々とやるべきタスクに従事した。毎日波風を立てながら働くことほど、しんどいことはない。できるだけ、表立っては争わない。これぞ、サラリーマン社会のよくある風景だろう。

 ただし、ミシマの場合、目の前の仕事をこなしつつもルーティンにならぬように気をつけた。
 自らが不満を抱く対象に文句を言われたくない。その一念が、結果に対する並々ならぬ固執を生んだ。結果を出してんだから、つべこべ言うな。要は、こういう理屈である。のちにミシマは自らこうした思考のことを、「動かずのカメラアングル」と名付ける。ビデオカメラをある位置に固定し、その定点からしか撮影しない。アングルが一切変わらないため、たとえ、当初映っていた人物が、画面から外れたとしても外れたまま。声がうっすらと聞こえていても、人物は映りこまない。固定アングルからの視界に入り込む以外に、「見える」状態は訪れないのだ。

 つまりは、そのレンズを通して見える世界だけが「存在」する。そしてその世界だけが正しいと思い込む。レンズの四角からわずかに外れるすべてが捨象される。世にいう視野狭窄ってやつだ。
 当時のミシマは、まさにその状態にあり、しかし、その状態にはまり込んだ多くの人々同様、自分がそこにいるとは思ってもいなかった。
 ただフツフツと湧き続ける不満で全身がのみ込まれんばかりだった。上司のことばに対して快活に返答したり、営業部と積極的に連携を図ったりするなど、絶えて久しかった。
 では、なぜ、ミシマは「こんなふう」になったのか?

 その話をする前に、この文章の書き手である「筆者」について断りを入れておきたい。
 いうまでもなく、筆者はミシマではない。あくまでもミシマについての諸々を記す第三者である。ときに遠くから、ときに急接近した位置から、ときに大胆にミシマの体の内側から迫りたい。動かずのカメラとは正反対、自由自在にアングルを変え、そればかりか、レンズの大きさも変幻自在。映画の撮影用の大型カメラで接写、あるいは遠景撮りすることもあれば、内視鏡カメラが体内に潜りこむがごとく、外見からはけっして見えぬミシマの一面をも活写する。米粒ほどのカメラが入り込むことも否定しない。はっきりいえば、24時間観ることだって可能だ。しかも、時空間移動も自由。過去のいつにだって行くことができる。
 結果、ミシマの恥ずかしい一面を見たことも一度や二度ではない。見たくなかった、知りたくなかったことだってある。

 さりとて、そうした全てを書くことはしない。何をどう書くかは筆者に委ねられている。だが、というより、だからこそ、被取材者との関係を壊すようなかたちで書くことは本意ではない。これはあらゆる取材でつきまとうジレンマである。いや、取材にかぎらず、仕事全般において言えることだろう。すべてをさらけだす人間に対して裏切るような行為をやってはいけない。絶対に。盤石なる信頼関係あっての取材と伝達。むろん、そこに馴れ合いがあってはいけない。一定の緊張関係が常に要る。
 被取材者本人が語ることを代弁するだけであれば、筆者の存在意味はまるでない。唯一無二の書き手として本稿を預かりたいと思っている。

 ……と初めての筆者自己紹介のせいか、黒子らしからぬ熱弁をふるってしまった。前段説明はこのくらいにして、本題に戻りたい。
 なぜ、ミシマは「こんなふう」になったのか? つまり、会社にたいして反発心ばかりを煮えたぎらせ、そこからけっして逃げることのできぬ視野狭窄状態に陥ったのか?
 20代後半から30代になったばかりのミシマに迫ってみる。小型カメラを当時のミシマの横隔膜付近まで滑らせ、そのあたりを旋回させてみよう。

 ちなみになぜ横隔膜かといえば、感情の揺れは横隔膜の上下運動の結果だからという説があるからだ。これは武術家の甲野善紀先生に教わったのだが、横隔膜が上がると「怖い」という感情、恐怖心が生まれる。現に日本刀をぱっと目の前まで振りかざせば、たいていの人は「きゃっ」と声をあげ縮み上がる。だが、行者が指を組んで印をつくるような格好で横隔膜が動かない状態をつくれば、日本刀が目の前に来ようが平然。「怖くありません」とさえ言うのだ。つまりは、感情の変化の手前、すくなくとも同時に、身体の変化が起こっていると考えうる。
 ミシマの場合も同じだろう。きゅっと上がったときがある。そしてそのまま止まりつづけた。その結果が先の視野狭窄状態をもたらしたと言えそうだ。

 ただし、あるひとつの出来事が起こしたわけではない。じょじょに上がりつづけ、これ以上あがると戻ってくることが難しい。そんな「片道切符」ゾーンへと、横隔膜が押し上げられていったのだろう。不満や怒りが蓄積し、極度の緊張状態へと陥った結果。
 ではいったいどういうことが不満の蓄積となっていったのか?
 外には漏れ聞こえることのないミシマの内なる声を拾ってみよう。精密な超小型集音マイクをそっと置く。瞬間、どでかい音が響いてきた。

「どいつもこいつも、自分のことしか考えていない!」
 はっきりいって怒声である。
「何があなたのことを思って、だ。ふざけるな! 結局、わが身かわいさ、保身だろうが。本気で出版をよくしていきたいのであれば、どうして現場の声を反映しないのだ。経営層にいい顔ばかりしようとして。どっちなのだ? よくしていきたのか? 上に気に入られたいのか? 上司の役割は、部下のために体を張ることだろう。それ以外に何があるっていうんだ。それができないのであれば、なんのためにいるんだ!!」
 激しいことこの上ない。しかも、1日中この調子なのだ。文字通り、寝ても醒めても。横隔膜が下がらないまま寝るのだから、当然といえば当然こうなる。
 この怒りにまみれた感情を、齢40を超えた「いま」のミシマ(当面、イマミシマとでも呼ぶとしよう)はこう解釈している。
(一本気やったなぁ)

 実際、まっすぐなのであった。野球でたとえれば、直球以外の球種は認めません。全力投球、全力スウィング、全力疾走。高校野球さながらのスローガンだ。だが実際のはなし、高校野球でさえ、変化球を巧みに使い分ける。理由は簡単。そのほうが、野球がおもしろくなるからだ。

 当時のミシマには、会社生活を面白くする、楽しむという発想が欠けていたのかもしれない。むろん、本人はそんなつもりはなかっただろう。「誰よりも会社を楽しみたいと思っている」。そう言うに決まっている。
 だが、結局のところ、ミシマの設置した“動かずのカメラ”が映す範囲内での楽しみでしかなかった。そのことを、ついこのあいだイマミシマは痛感した。

 2017年1月24日、『言葉はこうして生き残った』発刊イベントの司会をイマミシマは務めた。著者は、現『考える人』編集長の河野通和さん。もともとは中央公論で30年近く編集者をしてきた方だ。あの『中央公論』の編集長も歴任し、『婦人公論』が論壇誌サイズから現在のいわゆる女性誌サイズへ大胆リニューアルした時の編集長でもある。20代半ばにミシマは知り合ったのだが、一度として、えらそうな態度をとられたことがない(ある大手出版社になると、ほぼ全員えらそうだったりするのに……。とは、イマミシマの内心の声だ)。4半世紀のキャリアの違いがあるにもかかわらず。その点においても、ミシマにとっては憧れの大先輩といえる。

 イベントの最中、「言葉」の危機について話が及んだとき、イマミシマは10年以上前の「ミシマ」に飲み込まれたかのように、「保身から発せられる言葉が、言葉自体をだめにしている!」と発言した。
「言葉には、大きく分けると2種類あると思うんです。保身のためだけに発せられる言葉と、自分を含め、周りの人たち、他者を開いていく言葉のふたつに」

 そして、現在は「保身からの言葉」があまりに世の中を覆っていないだろうか、といった内容のことを述べた。 
 それに対して、河野さんは、イマミシマのやや興奮気味の口調に流されることなくやわらかにおっしゃった。
「うん、たしかに、そういう面はありますね。いっぽうで、自分を守らないといけないときの言葉もあるだろうし、いろんな言葉があっていいと思うんです。もっと、言葉を楽しんでいい。楽しんでいってほしいですね」
 隣で聴いていてイマミシマははっとした。地面すれすれのローアングルから映していた画面が、急に、ビルの五階からの画面に切り替わった感がした。まさに視野が開かれるような「言葉」だった。事実と実感に基づいてこういう言葉をさらりと語る。本物の知性。イマミシマは隣で身をもって学んだ。

 当時ミシマが編集した本の一節から引用してみたい。

「決断というのは、できるだけしない方がよいと思います。といいますのは、『決断をしなければならない』というのは、すでに選択肢が限定された状況に追い込まれているということを意味するからです。選択肢が限定された状況に追い込まれないこと、それが『正しい決断をする』ことより、ずっと大切なことなのです」

 内田樹先生の『街場の現代思想』、その後ミシマにとって座右の書となる一冊だ。
 この一節に出会い、二者択一しかない状態に陥ってはいけないことは痛いほどわかっていたつもりだった。
 結果的には、袋小路に陥ったことが、ピストンの反発で、起業への瞬発力を生んだ。
(けれど・・・)

 イマミシマは(一本気だったなぁ)とつぶやいたあと、続けて思わないではいられない。
(けれど、やっぱり、あれだけ追い込まれる事態は、けっして健康的ではない。もっと気持ちのいい起業のしかた、何かを始めるやり方だってあるはずだ) 
 内田先生の言葉を思い出しながら、若い人たちに声を大にして伝えたい思いに駆られる。一方で、年長者にはやはりそれでもこう言いたいと思ってしまうのだ。
(先の叫びには、一片の真実が含まれている)

——もちろん、自分を守らないといけないのはよくわかる。上司といえども、人間に変わりなく、家族やいろんなものを守る役割を担っていよう。けれど、上司としてまず守るべきは、 部下だ。いや、部下を優先していては自分を守りきれないと反論する人もあろう。けれど、自分の守り方なんて、いろいろだ。年少者が息をしやすい環境をつくるために体をはること。それが巡り巡って、彼らと一緒に、自身が息をしやすい環境をつくることにつながることだってある。そういう形でのわが身の守り方もあるんじゃないか。

 イマミシマは、足を組んで胡坐の姿勢をとり、親指と親指を合わせ両手で輪をつくり、座禅僧のように半眼となる。そうして先のイベントでの憑依ミシマを鎮め、過去ではなく、これからに思いを馳せる。
 遠目で見ると、修行僧そのものにも見える。だが、筆者は見逃さない。ミシマの口角があがり、ときどき、笑みがこぼれていることを。その心のうちでは、若かりしミシマの猪突猛進ぶりをどこか楽しんでいるのだ。そしてそんな熱さがまだ顔を出す自分がいることをどこか喜んでいるのだった。イマミシマ、本年42歳になり申す。
 
(いよいよ次回「後編」にて完結!)

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かぞくのカタチ

三島邦弘
ミシマ社代表 編集者

1975年京都生まれ。京都大学文学部卒。2006年10月に東京・自由が丘に単身、株式会社ミシマ社設立。「原点回帰」の出版社を標榜し、一冊入魂の出版活動に全国の書店員に支持者が多い。現在、京都市内にもオフィス兼「ミシマ社の本屋さん」(毎週金曜日のみ開店)を運営。著書に『計画と無計画のあいだ』(河出書房新社)、『失われた感覚を求めて』(朝日新聞出版)。 twitter:@mishimakunihiro

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