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かぞくのカタチ

家が職場、職場が家

三島邦弘

三島邦弘(ミシマ社代表 編集者)
今をときめく出版社「ミシマ社」のオフィスは会社というより家である。
なぜ「家」なのか? 家だと何が違うのか? へっぽこ代表兼編集者のコラム。

かぞくのカタチ

家が職場、職場が家

第20回 文楽、千日前経由、本屋喪失

 先日、大阪の国立文楽劇場へ行った。むろん、文楽を観るために。
 と書けば、「おや、あんたは文楽通かい?」、そう思われたかもしれない。いや、まさか。それどころかビギナーもビギナー。
 その日は二回目の観劇だった。むろん、と言ったのは「私」にとって、ではなく、誰であれ、文楽劇場に行ったからにはそりゃあ文楽を観るわな。その程度の使い方にすぎない。

 ……とここまでを読んで、なにをまどろっこしい。さっさと本論に行けよ。そう思われた方も多いかと。ご指摘ごもっとも。自分でもそう思う。そう思うのだが、なにせ文楽である。それについて今から触れんとしている。「むろん」、素人にとって未踏の、けもの道を行くようなものだ。入り口付近で準備体操のひとつもしたくなるのが人間というもの。どうかご寛容に願いたい。
 演目は『良弁杉由来(ろうべんすぎのゆらい)』、であった。

 初演は明治20年(1887)、とのことだが、時代は南都東大寺の開山にまでさかのぼる。文字通り、東大寺の敷地内にそびえる良弁杉という名の由来に基づく伝説から生まれた話だ。
 一幕目は、「志賀の里の段」。宮家に嫁ぐも若くして未亡人となった渚の方が、息子光丸と乳母らを連れて茶摘みに出る。渚の方へ同情を寄せる女子衆に対し、「光丸を立派に育て、家を守ることが大きな役目」と気丈に答える。そこへ比叡山から突然の強風。その風に乗って大鷲までが急降下。あいや! と叫ぶまもなく、光丸を連れ去ってしまう。泣き叫ぶ渚の方……。

 二幕目、「桜の宮物狂いの段」。あれから30年、老婆となった渚の方。お付きの者がいないのはおろか、襤褸(ぼろ)をまとうその姿からは往年の面影は皆無。さながら物乞いに身をやつしていた。ただし、物を乞うわけではない。ただひたすらわが子を求めさまよいつづけるのだった。あるとき、乗り合いの船のなかで、とある噂を耳にする。東大寺の大僧正と呼ばれる良弁という僧は、幼き頃大鷲にさらわれ、杉の枝におろされたそうな。な、なんと! 一路、東大寺へ向かう渚の方。
 とまあ、ストーリー(という呼び方が適切かどうかもわからないが)はこんなふうであった。以下割愛。

 年が明けて、たびたび本屋さんに通っている。なにをあらためてと思われようか。ミシマの仕事は本をつくって売ることなのだから、もとより当たり前のことをやっているにすぎない。
 が。「当たり前」が未来永劫、当たり前であるわけではない(当たり前だ)。
 仕事柄、当然のように通っていた場所が、ある日突然姿を消す。渚の方が大鷲に突如我が子をさらわれたように。そんな可能性は、十分に「ある」。

 いと小さき某本屋の老店主と話していたときのこと。おもむろに、「今年、来年あたり、けっこう潰れるんちゃうやろか」と、もらすように言葉にされた。
 ――書店全体で、前年比マイナス6%ほどで落ち続けている。このペースで行けば、過去20年で半減した売上が、10年でさらに半減する。もつわけがない――
 お手上げ。と言わんばかりの淡々とした物言いだった。怒りや憤りを通り越し、諦念さえ漂っているように感じられた。
 昨年来、報道される日経株価の高値とは無縁の、あまりに無縁の実体が街を歩けばあふれている。
 このままいくと、馴染みのある街から本屋がなくなってしまう。本屋のない街がもっともっと多くなる。
 ……その可能性は十分ある。どころか、すでに始まっている現実というほうが適切だろう。
 
 どうしてそうなってしまったんだろう?
 という問いをここではしない。
「原因はなんなんですか?」
「責任はどこにあるんですか? 誰が責任とるんですか??」
 なんてアオスジ立てて怒鳴り合い、罵り合い、そうして目の前の現実から逃避する。国であれ企業であれ、事件や不祥事が起きるたび、くりかえされる光景だ。火事が起こっている最中に、「なぜ?」の問いは不要でしかない。それは、「鎮火したあと」の課題であって、真っ最中にアオスジ立てることではない。
 だから、ここではこういう問いにしてみたい。
 
 本屋がなくなると私たちはどうなってしまうんだろう?
 
 本屋が街からなくなっていっている。毎日毎日、どんどんと。――この現実を前にして、一考の価値はあると思う。

 わが町から本屋がなくなり、さみしい。悲しい。
 そんな声を聞くことは珍しくない。
 だけど、その悲しみの声には、ある恐怖が隠されている。そのことにどれほどの人が自覚的であるかはわからない。が、間違いなく、潜在的恐怖というものがある。
 ではいったいどんな恐怖が?
 本屋が街から消えることで、人々に恐怖が湧き上がるとでもいうのか?

 結論から言いたい。
 おそらく、私たちは狂ってしまう。
 より精緻に言えば、狂うことを恐れている。愛着あるものが影形もなくなることで、自分の精神がもたなくなるような事態を、潜在的に恐れているのだ。あえて渚の方を出すまでもないだろう。
 人は偏愛したり、愛情を一身に注ぎ込む対象を急に奪われたとき、失ったとき、何事もなかったときのままではいられない。そこまで人は強くはない。
 もろい。
 いや、けっしてもろいわけではない。普段は気丈でどっしりしている。そういう人においてさえ、支えをうしなってしまっては、ぐらつくものだ。どんなに強固な建物であっても、柱の一本なくなるだけで、とたんに崩壊する危険にさらされる。

『良弁杉由来』が演劇として成立するのは、渚の方がもとはといえば「強い人」であればこそ。そのような人をして、夫を失い、わが子を失ったとき、正気を保つことが困難となる。「桜ノ宮物狂いの段」の名の通り、物狂いとは、妄執に犯されることをいう。くだいて言えば、正気のあるときには持ち合わせていたはずの「さまざまな視点」や「バランス感覚」がなくなる。あるひとつのことだけが「すべて」となってしまい、自他の分別も社会の常識も霧消する。

 そのことを心のどこかでわかっているだけに、人は「失う」ことを恐れる。過剰に恐れる。その過剰さをカモフラージュするために、早い段階で悲しみを表に出す。寂しがってみせたりする。一種のガス抜き的に。
 わが町から本屋がなくなり、寂しい、悲しい、の声も、その類の感情表現のひとつなのだ。
 
 というのも、それほどに、本というものは、愛着や偏愛の対象になりやすい。実際、本に育ててもらったという感覚や記憶をもっている人は、なにも「本好き」にかぎらず、数知れずいることだろう。しかも、年代ごとに、自分を育て、あるいは自分の友だちや、恋人のような存在になってくれた本たちがあるはずだ。
「オレはよう、高校一年のときに出会ったあの一冊で人生が変わったんだよな」
「中学生のころ、引きこもりだったんです。あのとき、ある本に出会って……。それで私救われたんです」
 いったい何人の人たちからそんな話を聞いたことだろう。
 なにもミシマと同じくらいの世代からだけではない。就活の面接やらなんやらで、学生たちからも毎年毎年、耳にする。

 本は自分の一部である――。
「もの」として本をとらえてみると、そのことがよりはっきりする。
 たとえば、本という「もの」は、読んだ人の側に読んだ内容が入っているだけでなく、たとえ内容は忘れてしまっていたとしても、本の側に「読まれた」記憶がある。正確にいえば、人は自らの記憶を外部装置として、本に委託している。だから、かつて読んだ絵本や単行本を見ると、「あ、これむかし読んだことある!」と思い出すのだ。実物を見る直前まで、内容はおろかタイトルさえ忘れていたとしても。
「もの」には、そういう機能がある。
 
 なにも「もの」という要素だけではない。
「本を踏んではいけません!」
 幼少期、親や教師や年長者から注意を受けたことが誰だってあるのではないか。それは、本が自分たちに何かを教えてくれる存在であると捉えているからにほかならない。そして、そういう存在を踏むようなことをすれば、バチが当たる。と、「畏れ」ている。

 そして、その記憶としての本が、畏れの対象としての本が集積した場所を、「本屋さん」と呼ぶ。
 ゆえに、本屋一軒の消失によって失われるものは、建物だけではない。そこで一度でも本を買ったことのある人たちの記憶や思い出や愛着をも流し去る。のは、当然のこと。くわえて、外部記憶の装置としての本の集積所がなくなるというのは、自分の記憶を呼び起こしてくれる場がひとつなくなる、ということにほかならない。

 本屋の喪失は、自分の身体の外側に存在している支柱をひとつ失うことでもあるのだ。身体の外部にある支柱とは、言い換えれば、「まるで我が身体の一部」のように感じていたものと言える。それが消失することで、狂わんばかりの喪失感に見舞われることになる。
 しかも、一人がそうなるだけでない。
 私たちが潜在的にもっとも恐れているのは、その点にある。
 渚の方「たち」が生まれてしまうのだ。
 本屋というパブリックに開かれていた場所が消失すると、いつしか、街に、渚の方「たち」が溢れ、乱れ歩くようになる……。
 
 むろん、実際にそういう事態がさまざまな街で起こっているわけではない。
しかし――。
 そうなる可能性は「ある」。という潜在的不安がどこかしらにあるのだ。本という「もの」に触れて、囲まれて、育ってきた世界の住人たちには、間違いなく。
 わが町から本屋がなくなり、さみしい。悲しい。
 その声は、自分が狂うかもしれないというだけでなく、集団としてそうなるかもしれない、という直感的不安に裏打ちされた「ガス抜き」といえるだろう。
 
 文楽鑑賞を終えたミシマは、単身、千日前のほうへ歩みを進めた。
 何度か行ったことのある鉄板焼き屋にでも行こう。そこで「あったかい、うまいもん」でも口にしてから京都へ戻ろう。そう思って店に着いたものの、待ち列ができているのを見て、諦めることにした。

 そのすぐ近くに、寿司屋の看板が見えた。値段は安い。入ってしまえ。と、店を覗くと、常連さんらしき人たちがチラホラいる。
 そのなかの長老らしき人と目があった。
 うっ。
 ちょっと威圧された。
 こんなよそ者が突然入って、けむたがられやしないか。
 つうか、おれ、びびってんのか??
 と自らに発破をかけ、思いっきり飛び込むことにした。
「いらっしゃい」
 威勢のいいおばさんの声をきいて、正直、ほっとした。
「どうぞここへ」
 と案内されたのは、二組の二人客のあいだに空いた一席だった。必然、アベック(死語)にはさまれる形となった。

 座るなり、右隣のおばさんが「よろしくね」とにっこりうなずいてくれた。
 ミシマも軽く会釈して、微笑み返した。
 しばし、つまみとビールを一人で口にしていたが、おばさんが、ときどき、こっちを気にしている。ほどなく、おばさんが、声をかけてきた。
 驚いたことに、おばさんは80歳を超えていた。連れのおじさんは、70歳くらい。酔っているためか、方言のせいか(沖縄出身)、あまり何言っているか聞き取れなかった。それにしても夫っぽくないな、と思ってたら案の定、旦那は家にいるという。三人で飲むこともある、仲間らしい。そんな話を聞いていると、いつしか左隣の中年カップルも加わっていた。

「これも縁やしね」とおばさん(おばあさん?)。
 気づけば、空いたビールジョッキに焼酎がなみなみと注がれていた。
 おばさんは、何も言うな、これは私のおごり、と表情で語ってみせた。
「ありがとうございます」
 そう言いながら、普段は焼酎をロックで飲むことなどないが、がんばって飲んだ。途中、中年カップルのおじさんのほうが見かねたのか、おばさんの目を盗んで、俺のコップへ入れろ、と合図をくれた。ジョッキの酒が半減した。助かった。
 そんなこんなで小一時間。見知らぬ人と飲んで、話して、大いに笑った。入店前に感じた不安など、最初から存在していなかったかのようだった。

 店を出ると、外国人旅行者をはじめ、まだたくさんの人々が歩いていた。その流れを縫うようによたよたと歩きながら、気分はとても晴れやかだった。
 夜の冷たい風が頬をなでると、いっそうご機嫌になっていくのを感じた。
 あれから数週間が経ち、今になって思う。
 あの日たまたま訪れた店での時間は、消えつつある街場の一角にぽつんと残された光景だろう。
 その場所に身をおき、数時間いただけで、ずいぶんとご機嫌になった自分がいた。

 そうだ、あの店に集う人たちは、ご機嫌になることで正気をつなぎとめているのだ。と断定するのはどうかと思うが、そんな要素が皆無であったとは思えない。
 いや、なにも、居酒屋だけじゃないだろう。本屋だって、どんなお店だって、そこに通う人たちにとって何かしらのご機嫌を届けてくれる。そうして、自分と街とを、自分と社会とを、つなぎとめてもいるのだ。
 そんな店は、たしかに減っていっているのだろう。もっとドライで、さばさばして、お客にコミットしない。そういう店が多くなるのはしかたがないことだ。

 けれど、自分たちの商売だけ見ても、そんな「濃い」店が減る一方で、新しい本屋さんが生まれていないわけではない。特に、ミシマと同世代のひとたちが、この4、5年、次々とちいさな店を出している。
「もの」とともに育ってきた、もしかすると最後の世代のあがきかもしれない。
 それでも、あがいているかぎりは、街に「物狂い」を大量発生させることをかろうじて防ぐことができるにちがいない。そして、いつか、やがて光がさすことだってあるかもしれないではないか。

 東大寺に着いた渚の方は、道行く僧侶にすがりつく。所用で急ぐ僧侶をなんとか引き止め、大鷲に連れられた我が子の話を語る。物乞いの戯言と思い、先を急ごうとする僧侶であるが、それでも、なにか心動かされるものがあったのか。親身になって妙案を出す。毎朝拝みにくる杉(良弁杉)に、いま語った内容の手紙を置いておくよう、助言するのだ。ばかりか、手紙を代筆してやる。

 そうして、めでたく、その手紙は良弁の目に留まることとなり、二人は再会を果たすのだった。大僧正良弁は、我が母を物乞い、物狂いのごとくにさせてしまっていたことを恥じ、詫びる。そして、駕籠に乗せられ、良弁とともに故郷へ戻っていく。
 もはや渚の方は物狂いではなくなった。
 というか、一貫して、そうでなかったかもしれない。ずっと渚の方は正気だった……!
 それは誰にもわからない。

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かぞくのカタチ

三島邦弘
ミシマ社代表 編集者

1975年京都生まれ。京都大学文学部卒。2006年10月に東京・自由が丘に単身、株式会社ミシマ社設立。「原点回帰」の出版社を標榜し、一冊入魂の出版活動に全国の書店員に支持者が多い。現在、京都市内にもオフィス兼「ミシマ社の本屋さん」(毎週金曜日のみ開店)を運営。著書に『計画と無計画のあいだ』(河出書房新社)、『失われた感覚を求めて』(朝日新聞出版)。 twitter:@mishimakunihiro

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