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かぞくのカタチ

劇的進行中~“夫婦の家”から“家族の家”へ

近藤雄生

近藤雄生(ライター)
子どもができると夫や妻は「親」になる。
海外で5年間、放浪の旅を続けて帰国した「遊牧夫婦」が、やがて「遊牧家族」に変わっていく日々を。

かぞくのカタチ

劇的進行中~“夫婦の家”から“家族の家”へ

第16回 中国ライフを楽しむ娘を見て…

 昨年秋、家族4人で中国に行った。四川省で友人の結婚式に参加するためである。

 友人というのは、15年ほどの付き合いになる日本在住の中国人男性で、彼とは、学生時代に日本で出会って以来仲が良く、ぼくが中国に住みたいと思うきっかけを作ってくれた人物だ。彼が四川省出身だったことをきっかけに、ぼくらも最初は住むなら四川省にしようと考えたものの、諸々の事情からその南の雲南省に住むことになったのだった。
 その彼が、日本人女性と結婚することになり、彼の地元四川で結婚式を行うということでぼくら家族を招いてくれたのだ。

 家族4人での海外旅行は今回で二度目だった。いまなお家族で海外へ移住したいと思っている自分にとって、家族での旅行はいつも、何かそのいい足がかりになればという気持ちがある。

 一度目は2015年初頭のことで、旅先はオーストラリア西部のバンバリーだった。ぼくら夫婦が長旅の最初に住んだ町だ。このときは1カ月ほどの期間があり、友人の家に泊めてもらいながらのんびり過ごすという、生活に近いスタイルだったこともあって、まさに将来の海外移住の前哨戦という気持ちが強くあった。ただ、実際に行ってみると、子ども二人を連れての海外旅行は、二人だけで気ままに動けた10年前の長旅とは全く異なることを実感した。

 当然のことだが、行動も制限されるし、体力的にもなかなかきつい。勝手を知った場所ではないため、子どもの世話には一段と手間がかかる。そして金もかかる。長旅をするのであれば現地で稼ぐ手段がないと続かないが、子どもがいたらかつてのように異国で二人がともに働くのは難しいだろうこともよくわかった。短期の海外旅行としては、友人たちと過ごし、かつて住んだ場所を懐かしみ、イルカとも戯れ、誰もいないビーチにテントを張ってキャンプもできたりと楽しかったし、娘たちもオーストラリアの空気に馴染んでくれたようだったけれど、自分としては、むしろ厳しい現実を突きつけられた気持ちだった。
「4人で長期で旅をするのは容易じゃないな」
 そんな思いを深くすることになったのである。

 そして昨年の中国旅行だ。今回は結婚式が目的のため、四川省の省都・成都のホテルに4泊ほどするのみで、しかも、オーストラリアのときのように友だちの家に滞在したり、のんびりとキャンプしたりという感じではないので、海外移住へのきっかけになればという思いはあっても、大きな期待をしていったわけではなかった。いろんな意味でワイルドな中国を娘たちがどう見るのかというのも全くもって未知だった。

 実際、やはり大変だった。車優先で、気を付けなければ歩行者は簡単に轢かれそうな中国では、子連れは慣れないと神経を使うことをしみじみと感じた。地下鉄のドアも、人が出入りしてようがかまわずに閉まる。ラッシュ時の電車はみな必死で、一度はぼくと次女だけが乗り込めずにドアが閉まり、妻と長女と別々に移動しなければならなくなるということもあった。
 オーストラリアとは大変さがまた違ったけれど、二人だけの旅にはない要素が満載となるのは同じだった。

 その一方、意外な発見もあったのだった。それは、娘たちがすっと中国に順応したように見えたことだ。街中の人ごみを歩いていても、バスに乗っても地下鉄に乗っても、彼女らは日本にいるのと変わらないようにはしゃぎ続けた。地元感たっぷりの雑多なスパイス市場に行っても楽しそうにしているし、町の食堂の、決してきれいとは言えないトイレに行っても淡々と用を足した。

 そして何よりも、ホテルの上品な朝食バイキングよりも、地元の人で賑わう地面が油でヌルヌルの麺屋さんの方が気に入って、特に6歳の長女がそういう店に好んで行きたがるのは想像していないことだった。小さなウイグル系麺屋さんのトマト味の麺や、 ひっきりなしに客が入っている半屋外の店の、「鋪蓋麺(プーガイミエン)」という座布団のような麺を特に気に入ったようだった。
 小さな木の椅子に座り、大きなお椀に顔をうずめるようにしながら食べ、「もっと食べたい!」と言ってはさらに注文することをせがみ、「毎日食べたい!明日もここがいい!」と言いながら店を出るのであった。その様子を、店員や地元の客がにこやかに見守ってくれていた。

「案外、中国の雰囲気とか全然大丈夫なのかもなあ」
 汚いからいやだとかこれは食べたくないとか、いろいろ言ってぐずるのではないかと想像していたのが、全くそうではなかったのだ。ぼくはとても嬉しくなった。子どもは大人とは全く別の視点で世界を見ているのだろうことを改めて感じた。そしておそらく、異なる環境にもすぐに順応できるのだろう。

 自分も幼少期、父の仕事の関係で、数年海外で暮らした経験がある。自分がその世界に順応していたのかどうかはわからないものの、10歳にも満たなかった自分にはおそらく、異国にいるという感覚はなく、ただ目の前にある環境に入っていこうとしていただけのように思う。
「日本に帰りたい」などと思った記憶はないし、そもそもそういう発想自体がなかったのだろう。おそらく子どもは、異国に対して大人ほどに感動もしなければ違和感ももたない。その一方で、自分の経験から考えれば、幼少期の外国体験は、異国にいるという実感のある大人以上に、その後の生き方を決める上で大きな影響を及ぼす場合があるような気がするのだ。

 そんなことを思うと、やはりいまのうちに、1年でいいから家族でどこか海外に住んでみたいという気持ちが強くわき上がってくる。以前から個人的に住みたいと想いを募らせてきたギリシャかトルコは、子連れでふらりと行って暮らすのはおそらくハードルが高すぎるが、英語圏の国であれば仕事のことを考えてもいけるのではないか。最近そう思ってもいる。文筆業以外でも、自分の経験を生かしてそれなりに収入を得られそうな方法がないこともないらしい。そんなことも調べるとわかってきた。

 しかしその一方で、毎日の生活は最近追われに追われている。経済的には楽ではないし、自分自身、体力的にも精神的にも余裕を失いつつあるように感じている。子どもがこれから大きくなれば、世話そのものはもう少し楽にはなるだろうものの、金銭的にはもっと大変になっていくはずだ。そんな現実に日々直面し、将来のことをあれこれ考えざるを得なくなってきたことで、いまの日本での生活をいったんすべて停止させてあてもなく異国へ旅立つということに舵を切ることがなかなか現実的に考えられなくなっているのである。

 考えすぎずにまず動くこと。その大切さを意識し続けてきたし、いまもそれは変わらない。しかし、だんだんと動くことができなくなりつつある自分も一方で実感してしまっている。

 ただ、異国への思いはいまもある。
 正月を例年通り京都の妻の実家で大人数で過ごしながら、ふと考えた。異国で4人で暮らしていたらどんな年明けを迎えることになるだろうかと。
 そこに何も具体的なイメージは思い浮かんではこなかった。それは、家族でのあてなき異国暮らしがいま、あまりにも現実のものとして考えられないものになりつつあるということなのかもしれない。しかし一方でこうも思うのだ。
 きっとその先に、あまりにも多様な可能性が広がっているからなのかもしれない、と。
 

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かぞくのカタチ

近藤雄生
ライター

1976年東京生まれ。大学院修了後、結婚直後に妻とともに日本を発つ。世界各地で取材・執筆活動をしながら、5年半の海外「遊牧」生活を送る。2008年秋に帰国以来、妻の地元京都市在住。著書に『旅に出よう』(岩波ジュニア新書)、『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。遊牧夫婦、アジアを行く』(ミシマ社)。最新刊は、シリーズ最終巻となる『終わりなき旅の終わり さらば、遊牧夫婦』(ミシマ社)。ノンフィクションやエッセイを中心に雑誌やWEBマガジンで連載執筆。『新潮45』に「吃音と生きる」を不定期連載中。2016年春より『考える人』に「ここがぼくらのホームタウン」を連載開始。2009年生まれの長女、2013年生まれの次女と4人家族。
http://www.yukikondo.jp/

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