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かぞくのカタチ

劇的進行中~“夫婦の家”から“家族の家”へ

近藤雄生

近藤雄生(ライター)
子どもができると夫や妻は「親」になる。
海外で5年間、放浪の旅を続けて帰国した「遊牧夫婦」が、やがて「遊牧家族」に変わっていく日々を。

かぞくのカタチ

劇的進行中~“夫婦の家”から“家族の家”へ

第20回 いつか来た道

 8歳と4歳の二人の娘のケンカが絶えない。
 最近のある朝のこと。もう起きるよー、というときに、二人が布団の中で顔を近づけて話している。よく見ると、長女のそよが、次女のさらに向かって何やらいらぬちょっかいを出している。次女が「やめてー」と繰り返す。

「なに小競り合いしてるんだよ。そよ、余計なこと言わんとき。もう、起きろよ」
 ぼくが言うと、「そよ、何もしてへんし!」と長女が返す。そして次女が「嫌なこと言うてたやんかー」と加えると、長女は、
「何も言ってへんやろ! 言ってたなら、なんて言ったか、言ってみ!」
 と、怒った顏で早口で言う。言葉でうまく言い返せない次女は思わず手が出る。すると小突かれた長女は加減もせずに「何すんねん!」と強く押し返したりするのである。
 次女が泣く。顏に大きく×印を描いた漫画のような顔になってわーっと泣き、丸い玉のような涙の粒をポロポロ落とす。

「そよ! そんなに強くしたら危ないやろ!」
 今度は少し強い口調で長女に言うと、彼女はいつもながらにこう言うのだ。
「なんで、そよばっかりに言うねん! 最初に叩いたのはさらやで! お父さん、なんでいつも、さらの味方ばっかすんの?」
「そよの方が力が強いんだから、加減しないと危ないだろ」
「でも、さらが最初にぶったんやで。さらにも言いや!」

 そう言われて、あわてて次女にも「さらも、叩くのはだめだよ」などと言うのだが、長女は全く納得しない。さらの味方をしているつもりはないけれど、確かに長女の言う通り、自分は知らぬうちに、次女の側に立っているのかもしれなかった。
 この頃、毎日のようにそんなやりとりが発生するが、二人の小競り合いを見ていると、まったくもう、と思いながらも、じつは微笑ましい気持ちにもなっている。数十年前の、兄との幼少期の記憶が蘇ってくるからだ。

 ぼくには3歳離れた兄と5歳離れた妹がいる。3人兄弟の真ん中である自分は、長女とも次女とも少し状況は異なるが、幼い頃の自分と兄との関係を思うと、娘二人のいまと重なる部分が多くある。

 兄は幼いころから何でも出来る人だった。小学1年か2年のときにはすでに、電車で2時間ほどもかかる祖父母の家にたった一人で行けるようになっていたし、本もよく読み、祖父とは早くから将棋などもやっていた。

 一方自分は、いつまでたっても一人で電車に乗ることすらできなかった。小4になっても、兄と二人で乗っていたら兄とはぐれ(というか、走り出した兄にまかれ)、帰り方がわからなくなって駅員の前で泣いてしまったことがあるほどだ。そして本も一切読まなかった。親戚で集まると、兄は賢いと言われる一方、自分はいつも何もできない子のような扱いを受けるために居心地が悪かった。

 それゆえ、お兄ちゃんはすごい。幼いころからそう思っていた。そんな兄を、ぼくは幼い頃からいつもまねた。兄がすることがしたかったし、兄が食べているものが食べたかった。
 ぼくがまだ5歳のときのこと、祖父母の家に遊びに行き、兄が車庫の入口あたりにあった梯子のような構造物に足をかけて登っていくと、追うようにしてぼくも登った。そしてぼくだけ足を滑らせて落下してしまい、構造物の途中にあったL字型の金具が左太ももに深く刺さり、骨まで見えるほど肉がえぐれて、12〜13針縫う大けがをしたこともあった。

 危なかろうがなんだろうが、とにかく兄がするのであれば、見よう見まねで自分もしたくなったのだ。それはおそらく、長女と次女の関係においても同じだし、多くの兄弟に共通のことだろう。
 しかしその後、そんな標準的な兄と弟として成長していく過程の中、ぼくは、自分の人生が兄の支配下にあるような時期を経ることになった。

 恥ずかしいことながら、自分は小学3年まで指しゃぶりをやめることができなかった。もちろん、さすがに人前ではせず、ただ家で一人隠れて、薬物でもやるかのように指をしゃぶっていたのだが、兄はそのことを知っていた。そして、ぼくがそれを恥ずかしいことだと思っていることも知っていたため、事あるごとに利用してきたのである。

 兄とぼくが一緒に他の友だちと遊んでいるとき、「おい、ゆうき、お前のポッキーもうちょっとくれよ」などと言われて「嫌だ」と断るとする。すると「あ、いいのか? 言うぞ?」と指しゃぶりネタで脅されて、仕方なく、「わかったよ……じゃあ、2本だけね」と泣く泣く渡すことになったのである。

 弱みを握られたばっかりに、「言うぞ?」の一言で何から何まで兄の命令に従わざるを得なくなる。気持ち的には奴隷のような日々だった。しかし、その状況を何とか脱しなければという思いを原動力として、小学3年の誕生日を境に、ついにきっぱりと指しゃぶりを卒業した。

 そうしてしばらくは兄の命令から解放されて自由を謳歌することができたものの、小学4年になると新しい問題が浮上する。ファミコンである。
 その時中学1年になっていた兄は、どういう流れだったかファミコンの本体を手に入れた。当然のことながらぼくもゲームに熱狂したため、それを機に兄は、ぼくを支配下に置く新たなカードを手に入れることになる。ぼくが言うことを聞かないと、「じゃあ、ファミコンやらせないぞ」とアダプターを隠してしまうという手段を得たのだ。そうして再び、“奴隷時代”が再開した。

 この両“奴隷時代”は、なかなか辛いものがあった。やんちゃ盛りだった兄の命令は時にだいぶ理不尽で、ひどい兄だとよく思った。兄の支配下から一生逃れられないような気持ちにもなって途方に暮れることもあった。いま、次女が長女に理不尽に泣かされているように見えるとき、ぼくにはつい、兄に泣かされる自分の姿が重なるのである。

 しかし幸い、ファミコン奴隷時代はそう長くは続かなかった。それぞれ思春期に差し掛かり、感情はさらに複雑系になっていったが、ケンカのやり方はだんだんと成熟し、子供じみた方法はとられなくなる。またそもそも、ぼくのファミコン熱がほどほどのところで横ばいになったために効果が限定的になったのと、兄が高校受験で忙しくて弟の相手をしている場合ではなくなったということもあるいはあったのかもしれない。
 そうして、兄が高校に入ったぐらいからだんだんと関係性は変わっていった。

 大学附属の高校に入った兄は、勉強に熱心だった中学時代とは打って変わって遊び出してあか抜けていき、奔放な日々を送るようになる。母はだいぶ苦労させられたようであるが、中学生になった自分はといえば、兄がなんとなくかっこよく見え、その兄の影響で服装などにも興味を持つようになっていった。そしていろいろと相談もする中、兄からの言葉で、ぼくの高校以降の進路の発端が切り開かれることにもなったのだった。

 ぼくは小学校時代、勉強の仕方が全くわからず6年のときには母親が担任に「近藤君は中卒でいいですね」とまで言われてしまう状況だったが、中学に入って地元の塾に行き出すとだんだんと勉強に興味が出た。そんなとき兄は、「お前はこっちの塾に行った方がいい、きっともっと伸びるから」と、自分自身も行っておいたらよかったと思っていたらしい少し遠くの塾を熱心に薦めてくれたのだ。

 あとから思えば、それが大きな転機になった。その塾に行った結果、ぼくは、想像もしていなかったほど勉強が楽しく感じられるようになり、数学が好きになり、理系に進もうと気持ちが決まった。成績も思っていた以上に上がっていき、何がしかの自信を持つこともできるようになった。

 そして、かつては試験ごとには一切合格する気がしなかった自分にはとてもそぐわないような高校を目指すことになり、かつ、塾の合格実績作りのためもあり、通う可能性のほとんどない関西の高校に試験を受けに行くことにもなったのである。
 関西の高校での入試の日の夜、第一志望の高校の合格を知らされた。そして東京に戻って間もなく、関西の高校にも合格したという連絡を受けた。確かその翌朝のことだった。起きるとぼくの机の上にはルーズリーフに書かれた一枚の手紙が置いてあった。それは兄からのものだった。

「雄生へ ○○高校と××高校の合格おめでとう」
 そう始まっていたその手紙は、自分を労う兄の言葉で満たされていた。最後には、
「本当にお前を誇りに思うよ」
 とあったように記憶している。そんなことを普段口で言うようなことはなかったので、驚いた。何をやっても自分より器用にこなす兄にそう言ってもらったことで合格の喜びは何倍にも膨らんだ。

 一方、その後ぼくが逆の状況に陥ったときも、兄は温かな気持ちを伝えてくれた。高校受験の3年後、ぼくが現役での大学受験に失敗し、かなり落ち込んだ状態で浪人することが決まったときにも兄は手紙をくれたのだ。そこにはこんなことが書いてあった。

「雄生、残念だったな。でも、まだ来年がある。あれだけ勉強してたんだから、来年は大丈夫。おれもこれから本気で司法試験に取り組もうと思ってる。だから、一緒に頑張ろう」

 その決意を示すためだったのだろう、兄は、結べるほど長く伸ばしていた髪をその時ばっさりと切ったのであった。

 それからすでに20年以上が経っている。現在は互いに全く別の道を進んでいるが、ぼくは自分が様々な面で色濃く兄の影響を受けていることをよく感じる。自分の話し方は兄に少なからず似ているし、何よりも、自分の3年先を進む兄の姿を見られることで、人生の選択においていつも多くのヒントをもらってきたように思うのだ。

 娘二人がケンカする姿を見ると、兄との間のそんな関係をあれこれと思い出す。

 次女の気持ちが想像しやすい自分は確かに、長女が言うように、次女の肩を無意識であれ持ってしまっているのだろう。ただ同時に、長女の姿に兄を重ねる自分の中には、長女に対し、第一子として生きることの敬意のようなものがあるのである。自分は何でも兄を参考にしながら人生を進んでこられたのに対して、一つひとつ手探りで、自分で道を切り開いていかなければならなかった兄の苦労が、いまは想像ができ、強い感謝の気持ちがあるからである。

 長女にも次女にも、いつか自分のそんな思いを伝えられたらと思っている。

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かぞくのカタチ

近藤雄生
ライター

1976年東京生まれ。大学院修了後、結婚直後に妻とともに日本を発つ。世界各地 で取材・執筆活動をしながら5年半の海外「遊牧」生活を送る。2008年秋に帰国以来、妻の地元・京都市在住。著書に『旅に出よう』(岩波ジュニア新書)、『遊牧夫婦』シリーズ3巻(ミシマ社)。最新刊は、先のシリーズ第1巻を大幅に書き改めて文庫化した『遊牧夫婦 はじまりの日々』(角川文庫、2017年3月刊)。雑誌『新潮45』に「吃音と生きる」、『考える人』に「ここがぼくらのホームタウン」をそれぞれ連載。ウェブ連載には、本連載のほかに「遊牧夫婦こぼれ話。」(みんなのミシマガジン)がある。2009年生まれの長女、2013年生まれの次女と4人家族。
http://www.yukikondo.jp/

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