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かぞくのカタチ

動物という家族

小林明子

小林明子(ライター)
物心ついた時から家には動物がいて、ペットというより「家族」だった。
一緒に暮らすのは大変だけど、意外な発見の連続で離れられなくなる。

かぞくのカタチ

動物という家族

第18回 「いつまでも大好きだよ、シャンコ。」

 忘れもしない7月27日。
 朝、息子が「シャンコの息、ちょっと早ない?」と言う。そういえばそうやなぁと会話するも、時間になり彼は出かけて行った。

 その後、出かける支度をしながらシャンコを見ると、舌を出して息をしている。え? 熱中症? まさか、クーラーもつけてるし、と思いつつも、大好きな氷を出してやるとペロペロなめる。落ち着いたように見えたので、膝の上に乗せて背中をなでた。いつもなら、私が下ろすまで乗り続けるのに、この時はシャンコの方から下りた。ま、そういう気分の時もあるよねと、深く考えず身支度を続けた。

 9時前、「じゃあ、お母さん、行くからね」と声をかけた時、シャンコはお気に入りの場所、ベッドの下で寝転んでいた。チラッと、今思うと少し心細そうに……私に視線を投げた。
それが、動くシャンコを見た最後になった。

 列車の中で、先ほどのシャンコの様子をスマホ検索すると、「狭心症」と出てくる。それによると「根治法はなく、薬で症状を緩和するしかないが、予後は悪い」。そんな記事を読みながら、病院嫌いのシャンコを思う。獣医さんかぁ、嫌がるやろうなぁ。けど、帰ったら連れて行かんとアカンなぁ。やれやれ。そうこうするうち大阪駅に到着。一つ目の取材を終わらせ、14時から始まる取材のため、奈良に向かう。

 近鉄奈良駅に着いたのが13時30分。少し時間があるので、コンビニに入る。飲み物でも買おうかと思っていた時、スマホに着信。息子からだ。
「どうした」と聞くと、
「今、良い? 落ち着いて聞いてな。シャンコが死んだ」と告げられた。
「もう冷たい」と。

 あわててコンビニの外に飛び出し、近鉄奈良駅前、多くの人が行きかう中で「嘘や!」と大声を上げる。でも、今朝の様子からしてという思いもあり、まして息子が嘘をつくはずもなく、事実には違いないのだけれども、受け入れられず「嘘や嘘や嘘や」と叫びながら、生まれて初めて人の目を気にせずに泣いた。

 その後のことはあまりよくは覚えてないのだが、息子には、14時からは取材が始まること。シャンコの身体をタオルで包んで保冷剤で冷やすことなど、いくつかの指示を与え、電話を切ろうとすると涙声で
「早く帰ってきてやって……」と。
「わかった」とだけ答えて取材先に向かった。

 ところがそんな日に限って、取材が始められない状況があり、結局1時間半待たされた。誰もいない会議室で一人待つ。一刻も早く帰りたい、大声を出して泣くわけにもいかない。そして、取材相手からは楽しい話を聞き出さなければならない。こんなに苦しい時間はついぞ経験したことがなかった。

 ようやく始まった取材を16時過ぎに終わらせて駅に走り、普段は乗らない有料特急に駆け込み、車内で声を押し殺して泣く。やがて京都駅に到着。タクシーに飛び乗る。ふと思いついて、途中、花屋さんに寄ってほしいと運転手さんに頼んだ。

 タクシーを待たせて花屋へ。店員さんに小さな花束を作ってくださいと告げ、薄桃色のバラの小花を選ぶ。
「どんな使いみちですか?」と聞かれ
「15年、一緒に暮らした猫が……」と口に出したとたん、年甲斐もなく泣きじゃくってしまった。

 女性の店員さんは今にして思えば驚かれただろうが、できた方で、すべてを察して、かわいいリボンをつけてくださった。会計540円。手間の割に安くて申し訳なく、頭を下げると「今日はゆっくりお休みになってくださいね」との優しい言葉をかけてくれた。
 また、涙があふれ、タクシー内でもずっと泣きっぱなしだった。

 実はその頃、私は35年以上に及ぶライター生活の中でかつて経験したことがないほど大量の仕事を抱えていた。1日48時間、秘書がいたらと思うほどの状況で、シャンコの病院通いは正直つらいなぁと考えていた矢先、彼女は本当にあっけなく、そして誰にも何の迷惑もかけることなく旅立ってしまった。そんな自己保身の気持ちがシャンコを死なせたような気がして、腹立たしく、そして情けなく。

 さらにすごいのは、締め切りの連続だったにもかかわらず、せねばならないことは山積みながら、27日の夜と28日の夕方以降だけは奇跡的に時間が取れた。またそれが罪悪感を呼び、落ち込みに拍車をかける。

 シャンコは本当に冷たくなっていた。自慢の毛皮、お腹はふかふかのままだったけれども、いつもはさわられると嫌がって引っ込める後ろ脚。どんなに触ろうとも、もう縮めてはくれなかった。朝、私を見た瞳は、ガラスのように無機質になっていた。多分、一瞬にして心臓が止まったのだろう。そんな死にざまだった。

「しんどかったよね。ごめんな、気づいてあげられんで。一人で逝かせて」
 ああすればよかった、こうすればよかったと、後悔が数多押し寄せるが、できることはなにもなかった。

 シャンコが家族になった日のこと。カーテンレールに飛び乗り、降りられなくなった日のこと。息子用に作り置きしておいた鶏団子を食べ散らかしていた時のこと。いろいろ思い出されて涙が止まらない。冷たくなったシャンコを抱え、子どものように泣きじゃくる私の背後で、息子も声をあげて泣いていた。

 べッドに横たえたシャンコに、花束、大好きだったカスタードクリーム入りのワッフルを供える。息子が「生きている間はあげられなかったチョコレートも置いてやろう」と、板チョコを添えた(チョコレートは猫に食べさせてはいけない食品のひとつ)。
 
 1時間ほどそうして過ごしただろうか。息子に、ペット用の葬儀社に連絡をつけたこと。明日の夕方、荼毘に付してもらうことを告げる。葬儀に備え「写真があれば用意してください」と言われたため、二人でパソコンや携帯から写真を探し始めたら、また泣けてきた。

 15歳は人間で言うと75~76歳。あと数年は一緒に暮らすつもりだった。
「同じ日に死のうって約束したやんか……」涙は涸れることがない。その晩は息子と一緒に寝ずの番をした。

 翌日は朝から仕事。ずっとシャンコのそばにいたい、また笑いたくもないけれども、そんな気持ちを仕事相手に悟られるわけにはいかない。ふと、愛妻を亡くしたばかりの市川海老蔵さんが直後、舞台に立っておられたことを思い出す。「海老蔵、すごいなぁ」、素直にそう思う。

 一人暮らしをしている娘も、何とか仕事をやりくりして自宅に帰り、シャンコに別れを告げることができた。
突如、雷が鳴って大粒の雨が降り出した。やがて、ペット葬儀社の車が到着。同乗して斎場に向かう。息子がベッドごとシャンコをしっかり抱きかかえる。そこに娘が寄り添い、傘を差し掛ける。

 普段は仲が良いとはいえない、7歳も離れた姉と弟が協力する様子を見て「私が死んだ時の良い予行演習になったかもね、シャンコ」と胸の中で話しかけた。

 斎場では般若心経のテープを流してもらい、別れの儀式を行う。その後、焼き場へ。花束、お供え物と一緒に横たわるシャンコは今にも起きてきそうな雰囲気だが、もちろんピクリとも動かない。

 これでお別れ。本当にこれが最後なのだと、あのふかふかの、いつも私を癒し、励ましてくれた彼女が灰になるのだと思うと、文字通り心が張り裂けそうだったが、シャンコの供養のためにもしっかりせねばと言い聞かせ、見送る。

 骨になるまで40分かかると言われ、別室で待った。その間に骨壺を選ぶ。陶器でできた、淡いパステルカラーに光る卵型の骨壺に決め、さっき少しだけ切り取った自慢の体毛と骨を入れて持ち歩けるキーホルダーやペンダントを各々が選ぶうち、骨を拾う「用意ができました」と知らされた。

 尾骨の最後のひとつまでていねいに、きれいに並べられたシャンコの骨が運ばれてきた。娘が「少し区切りがついた。生身のシャンコを見る方がつらかった」とポツリ。そういえば祖父母が亡くなった時、私もそう思ったな。

 粉状になったものも含め、塵すら残さぬよう、みんなの手でシャンコの骨をすべて拾い、骨壺に納める。
「足腰の骨が立派。若い頃はヤンチャだったでしょう」
と、スタッフさんに言われ、
「そうそう、食器棚とか冷蔵庫に良く駆け上っていたよね」とか言い合うと、また涙がこぼれる。
 驚かされたのは、咽喉仏の形の良さ。本当に本当に、仏さんが座っているような、神々しい姿だった。

 斎場を出る。雨はすっかり止んでいて、山の中だからかもしれないが、7月なのにヒグラシの声が聞こえた。涙雨だね、シャンコ。
「シャンコ、きれいに逝き過ぎや。立つ鳥、もっと後を濁して迷惑かけてほしかった」
 車中で、息子がそうつぶやくのを聞いてまた泣けてきた。

 シャンコの骨壷は、彼女のために特注した木製キャットタワーを祭壇に見立てて飾り、毎朝、水やおやつを供えている。シャンコを失った悲しみは、1ヵ月以上経った今も一ミリも減ることはない。

 朝、起きた私を見つけると「にゃー」と声を出して寄って来るのが日課だったが、もうその声は聞けない。資料の上に寝そべって邪魔をされることもない。膝に乗せてなでろと、背中をトントンされることもない。毎日毎日掃除機をかけなくとも、家は汚れない。トイレの始末をする必要もない。出かけにガムテで服に付いた毛を取る必要もない。その“ない”ことを一つ一つ実感する度、胸が痛む。

 開いた穴の巨大さに耐えられず、息子は一時、不眠と食欲不振に。私はアルコールの量が増えた。

 毎週の木曜日、シャンコが大好きだった鶏肉料理か卵料理を供えて“おたいや”を営んでいる。シャンコに嫌われてはいたけれども、亡くなった日も駆けつけてくれた、自身も2匹の猫と暮らす妹。亡くなった当日、夜中にも関わらず電話で私を励ましてくれた同業者。家族以外の膝には乗らなかったシャンコが唯一心を許した女性編集者さん。
 四十九日が過ぎたら、一区切りつけるためにも、シャンコを愛してくれた同志を懇意の料理屋さんに迎えて法事を開こうと思う。 

 悲しみは癒えない。シャンコのことを思い出しては泣いている。けれども、この悲しみは「新しい子を迎えなければ癒えない」と助言してくれた同業者に従い、シャンコのように、路頭に迷っている子に出会ったら、いつかは受け入れたいと思っている。
 が、こればかりは縁のもの。でも、できればシャンコのように肉球が四脚ともピンク色の三毛、お腹が純白の女の子がいいと思っている。

 シャンコ、15年間本当にありがとう。貴女が亡くなってから、息子が少し優しくなりました。死を考えること、死を目の当たりにすることはとても辛いけれども、誰も避けては通れない。「朝には紅顔、夕べには白骨」はお経の一節だが、まさにその通り。そして私もいつかは先に逝くことについて考える機会を、娘と息子に与えてくれたことを心から感謝します。

 私があの世に召されるまで、仲間と遊んで待っていてください。また、会う日まで、少しの間だけ、さようなら。

 15年間、楽しかったよ。また遊ぼうね。
この原稿を書くことが供養になると進言くださった編集氏にも感謝します。

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かぞくのカタチ

小林明子
ライター

1962年京都市生まれ。同志社大学在学中からミニコミ誌の制作を始めて以降、ライター稼業まっしぐら。雑誌『あまから手帖』の連載ほか、『文藝春秋』『家庭画報』などに執筆。著書に、生家である白生地問屋での少女時代を綴った昭和の風景満載のコミックエッセイ『せやし だし巻 京そだち』(原作/140B)がある。

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