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かぞくのカタチ

(あまり)病気をしない暮らし

仲野 徹

仲野 徹(大阪大学大学院医学系研究科教授)

かぞくのカタチ

(あまり)病気をしない暮らし

第24回 「アディクション」を理解しましょう

 某人気グループのメンバーが書類送検されたことが大きなニュースになってます。国政やら南北朝鮮やら重要な問題がたくさんあるときに、それほど大騒ぎすることでもあるまい、という気がしつつも、つい見てしまう自分が恥ずかしい。
 飲酒で酩酊状態になったことが原因のようだが、う~ん、それってアルコール依存症とちゃうんか。

 本人は否定。しかし、アルコール依存症は別名「否認の病」とも言われていて、「自分はアルコール依存症でない」とか「やめようと思えばいつでもやめられる」とか、飲酒の問題を認めようとはしないのが特徴なのであります。もちろん、実際にはアルコール依存症ではないのかもしれませんけど、状況からみるとかなり疑わしいですわなぁ。
 ということで、今回は依存症、というか、アディクション(addiction)についてであります。

 名コラムニストの小田嶋隆さんは、元「アル中」患者である。その経験を綴った近著『上を向いてアルコール』(ミシマ社)が好評を博している。その関係で、小田嶋さんと対談をする機会があった。にわか仕込みだけれど、何冊か本を読んで勉強した。

 トークショーの打ち上げでは、わたしも含めて遠慮せずにアルコールを飲む中、小田嶋さんはノンアルコールビールだった。アルコール依存症という病気はやっかいである。完全に治るということがない。アルコールをやめていても、再飲酒すれば元の状態に戻ってしまう。専門用語(?)でスリップというらしい。だから、「元アル中患者」は、飲んではいけないのである。

『上を向いてアルコール』、軽やかなタイトルの本だけれど、内容はけっこう重い。小田嶋さんがどのようにして「アル中」になっていったか、そして、どのようにしてそこから抜け出すことができたか。断酒してから20年たってようやく書けるようになった、ということからだけでも、その重さがわかる。しかし、さすがに内田樹先生がその文才を尊敬しておられるほどの小田嶋さんだ、読み物としてむっちゃおもろい。

 小田嶋さんは、一貫して「アル中(=慢性アルコール中毒)」という言葉を使っておられるが、医学的には正しくない。【中毒】を広辞苑でひくと「① 飲食物または内用・外用の薬物などの毒性によって生体の組織や機能が障害されること。」と「② 身近にあることになれすぎて、無感覚になること。また、それなしにはいられなくなること。」とある。

 スマホ中毒とかいうと、スマホは飲食物や薬物じゃなんだから、②の意味だとすぐわかる。けれど、アルコール中毒となると微妙である。実際、急性アルコール中毒は①の意味である。慢性アルコール中毒はアルコールの直接毒性によるものではなくて、それなしではいられない依存状態だから、①よりは②の意味だ。とはいうものの、スマホとちがって飲食物なので、なんだか曖昧である。とかいう事情があるので、かつての慢性アルコール中毒は「アルコール依存」という言葉に置き換えられたのだ。

 しかし、「日本で一番有名なアル中の家族」として苦労し、『実録! あるこーる白書』(吾妻ひでおとの共著)などの著書もある西原理恵子さんと同じく、小田嶋さんも「アル中」という言葉を使っておられる。小田嶋さんの主治医は、以前、国立病院機構久里浜医療センターという、日本で最高レベルの依存症治療機関におられた医師だが、その先生も「アル中」派だ。
「依存症といえば可愛そうな人というイメージがあるけれど、『中毒』というと、どうしようもないこのクズ、という感じが強調される」(『上を向いてアルコール』より)から、意図的に使っておられるのである。いろんなケースがあるだろうけれど、所詮アルコール依存症患者はどうしようもない、という発想のようだ。

 西原さんの考えも似ている。
「アル中」という言葉には、そういった悪しきニュアンスが含まれているのだ。だから、「アル中」は放送禁止用語なのである。一方、「アルコール依存症」といえば、病気に罹った「なんだか可哀想な人」というイメージがなくもない。
 単なる言葉の問題かもしれないが、正しくアルコール依存症を理解するためには、「アディクション」とか、「アル中」と「アルコール依存症」の中間的な言葉がふさわしいような気がする。

「アル中」になるにはこれといった明らかな要因はなくて、だらしなく飲んでいるうちに、どんどん深みにはまっていくものらしい。そして、俺はアルコール依存症ではない、とか否認している間に、アルコールなしでは生活できなくなり、周囲に迷惑をかけ、仕事ができなくなって生活が破綻していく。あな恐ろしや。

 小田嶋さんの主治医は、かつて専門家であったが、「アル中」患者を診ないことに決めていた。なんとなくわかるような気がする。「アル中」にもランクがあって、久里浜医療センターで治療を受けるような人は「エリート」らしい。そんなエリートを治療しても、そのうち8~9割がスリップしてしまうのだ。同じ人が何度もスリップすることもあるだろうから、なんとなく、賽の河原で石を積むような気がしてしまうのではないか。

 その医師が小田嶋さんを受け入れたのは、小田嶋さんがインテリだから、という理由であった。ひょっとしたらおだてられただけかも、とおっしゃる小田嶋さんだが、それなりの理由がある。

 アルコール依存症から抜け出る、すなわち、飲み続けてきたお酒をやめるには、強靱な意志が必要だという気がする。もちろん、意志も大事なのだろうけれど、それだけでやめられるものではないらしい。アルコール漬けであった日々の生活を捨て、新しい生活スタイルを再構築しなければならないのだ。そのためには、自分を客観視し、新生活をイメージし、実践する必要がある。なので、インテリでなければ無理というのだ。

 対談予習の一冊にクレイグ・ナッケンの『やめられない心 毒になる「依存」』(講談社α文庫)という本を読んだ。ずいぶんと勉強になった。この本では、依存症や中毒ではなくて、「アディクション」という言葉が使われている。アディクションでは、もともとあった自己の人格に加えて、アディクション人格という新たな人格ができてしまい、それが次第に大きくなって、もとの人格を蝕み、最終的には取って代わられてしまう、と説明されている。

 なるほど、納得の解説である。アディクションになって人が変わった、というよりも、二重人格のようになって、もとの人格がとって変わられた、と理解するといいのだ。こう考えると、たとえ身近な人がアルコール依存症になったとしても、こいつはもうダメだ、ではなくて、アルコール依存症人格が悪い、と解釈することもできる。そして、治療としては、その悪しき人格をしぼませればいい。

 しかし、それが難しいのである。考えてみれば、アディクション人格というのは、もとあった人格から生まれ出てきたのだから、いわば同根である。だから、もとあった人格をふくらませて悪しき人格を駆逐するというより、それとは違う人格を創り出して、アディクション人格を駆逐する必要がある。そのためには生活の再構築が必要、ということなのだろうと勝手に解釈している。

 飲み友だちとの関係を絶つ、聴く音楽を変える、野球観戦をサッカー観戦に切り替える、など、アディクション人格につながったさまざまな生活習慣をあらためなければならない。小田嶋さんはそれに成功された。しかし、4部屋ある家に住んでいるのに、そのうち2部屋だけで暮らしているような寂しさがあるという。そして、住めない2部屋にはガラクタが詰まっていると。きっと、封じ込めた悪しき人格が、ガラクタのつまった2部屋に対応するのだろう。いらないものを完全になくせないと思うと、なんだか切ない。

 アディクションにはいろいろなものがあるが、大きく2つに分類されている。アルコール、薬物、タバコといった、摂取すると気分がよくなるようなものによる「物質依存」と、ギャンブル依存、仕事依存、ゲーム依存、ネット依存といった「行為依存」である。

 詳しいメカニズムがわかっていないし、それぞれで違っている可能性もあるが、ごくざっくりいうと、脳内に新しい「快楽のネットワーク」のようなものができてしまう、ということは間違いなさそうだ。

 米国では薬物依存が深刻な問題なので、アディクションの研究にずいぶんと予算が割かれているが、決定的な治療法は開発されていない。しかし、その悪しき快楽のネットワークを組み換えることができたら依存症がよくなるだろう、ということで、脳内に刺激を与えるデバイスも開発中である。まだ、うまくいくかどうかはわからないようだが、試みとしては悪くなさそうだ。
 しかし、たとえ画期的な治療法が開発されたとしても、アディクションから脱却し続けるのは大変であることには違いない。

 となると、まずはアディクションにならないことが一番だ。あたりまえのことを、と言われるかもしれないが、意外と難しいのかもしれない。その理由のひとつは、どこからが依存症という線引きが曖昧なために、ずぶずぶといってしまう危険性があることだ。その上、本人が否認するのだから、なおさらである。
 もうひとつは、周囲が知らず知らずのうちにアディクションを助ける「イネーブラー(enabler)」になってしまう可能性があることにも注意が必要だ。

 お酒を飲む人は、ネットでアルコール依存症チェックテストをやってみればよい。小田嶋さんとの対談を機会にやってみたが、要注意群に分類された。けっこう小心なので、以来、酒量を半分程度に抑えている。

 アディクションなんか関係ないわ、と思う人がほとんどかもしれないが、それは間違えている。遺伝要因、環境要因などいろいろあって、なりやすい人となりにくい人というのはあるだろう。けれど、「アディクションの根底にあるのは、『幸福感を得たい』という欲求を、意のままに満たそうとする渇望であり企て(『やめられない心 毒になる「依存」』より)であっての、けっこう本能に近いものなのだから。

 それに、今の世の中、アルコールや薬物、ギャンブルなどではなく、ネット依存となると、誰もが陥る可能性があるといっても過言ではない。

 アディクションにならないためには、それについての正しい知識を持つ必要がある。西原さんも、正しい知識を持っていたら、もっとうまく対応できたはずと考えて「アル中」についての本を出しておられるのだ。自分であれ周囲の人であれ、「アディクションかも」と思えることが抑止の第一歩になると思うのだが、どうだろうか。

 アディクションの本を読めば読むほど、その恐ろしさがわかってくるし、アディクションに対する考え方もかわってくる。今後のためにぜひお読みになられることをオススメいたします。

 ところで、「統合型リゾート」とかいう目くらましのような名前のカジノが設置されようとしています。それについては、「アル中」になるには特別な理由などない、という小田嶋さんの指摘はとても重要です。逆にいうと、ちょっとしたきっかけで依存症になってしまうということなのです。

 カジノでいうと、そんなものがなければギャンブル中毒にならなかったであろう人に、ギャンブル中毒になってしまうきっかけを与えてしまう危険性があるということです。「カジノを含む統合型リゾート(IR)実施法案よりもギャンブル依存症対策基本法案を先行審議する方針」とか報じられてますけど、どうにも本末転倒としか思えません。わかってるんやったら、やめとけよ。

 小心者としては、IRができたところで、決して近づかないと心に決めています。意志は強い方ではないけれど、それくらいの我慢はできます。というか、できると信じてます。いや、信じたいです。あれ? 信じたいような気がします。だ、大丈夫か……

 ということもあるので、カジノには絶対に反対なのであります。

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かぞくのカタチ

仲野 徹
大阪大学大学院医学系研究科教授

1957年大阪市生まれ。大阪大学医学部医学科卒業。京都大学医学部講師などを経て、現在は大阪大学大学院医学系研究科教授。2012年に日本医師会医学賞を受賞。著書に『なかのとおるの生命科学者の伝記を読む』(学研メディカル秀潤社)など。多忙なスケジュールの合間を縫って、活字好きに話題の書評サイト「HONZ」の書評委員(レビュアー)も務める。著書に『エピジェネティクーー新しい生命像をえがく』(岩波新書)など。最新刊『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社)が大ヒット中!

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