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いごごちのカタチ

平川克美の“住めば都落ち”

平川克美

平川克美(立教大学大学院特任教授)
人生の「後退期」もまた楽し。おもしろい話は家のまわりにいくらでも転がっている。
50歳を過ぎたあなたに届けたい達人の「住まい方」指南。

いごごちのカタチ

平川克美の“住めば都落ち”

第18回 隣町通信⑦ Nobody

I

 その日は重たい雲が空を覆っていた。
 店は十時に開けたのに、午前中はまったく客が来なかった。
 そういう日が、年に何回かあるが、この日は特別だった。というのは、午後になっても、客が来る気配がまったくなく、わたしと店長のKくんは三週間後に迫っているイベントの宣伝用のチラシを作って、時間を潰していた。

 場末の商店街から外れた、人通りの少ない道路に面した店ではあっても、一日店を開けていれば数人はドアを開けて入ってくる。ハエやクモが捕虫網に引っ掛かるように、行き場を失った通行人が、ついふらふらと店の中に入ってくるのである。
 それが、その日は人の来る気配もなかったのだ。

「どうしたんでしょうね」とKくんがつぶやく。
「まあ、こういう日もあるさ」と応えたのだが、さすがに一人も客が来ないというのはどうしたことか。
 この町の人間が、一斉にどこか別の場所へと疎開してしまったのだろうか。
 そんな冗談ともつかない想像が浮かんでくる。
 そのうちに、雲行きも怪しくなり、気温が急に下がってきた。
 気が付けば、少し前から降り始めた雨が雪に変わっていた。

「積もりますかね」
 次第に激しくなってきた雪を窓越しに眺めながらKくんが言った。
 わたしは、人も車も通らなくなった、薄暗い道路脇にぽつりと佇んでいる隣町珈琲の輪郭が、激しく落ちてくる雪のなかで次第にぼやけてくるのを感じていた。
 そのとき、結露して曇ったドアの窓の奥に、一台の黒い車が止まるのが見えた。

 店の前にある病院は、養老院を兼ねており、このご時世では終末期の患者を大勢かかえているようであった。
 一か月に数回、病院の前に車が止まり、玄関口に病院のスタッフが並ぶ光景が見られた。病院で亡くなった患者を送り出しているのである。
 過ぎ去っていく車に向かって、スタッフが一斉に頭を下げているので、何があったのかはすぐに了解できた。
 今日も、また一人の老人が息を引き取ったのだろう。
 まもなく、スタッフとストレッチャーが入り口から出てきて、いつものように遺体の送り出しがあるはずだった。

 しかし、この日は、車はライトを点けたまま止まっていて、誰も出てくる気配がない。ライトが照らす先で、空中を無数の虫が舞うように、雪が揺れて踊っていた。
「どうしたんだろう、誰も出てこないね」
 ふたりとも、他にすることもないので、窓の外の光景に目を凝らしている。
 雪はさらに激しくなっている。
 道を挟んだ向かいの病院なのに、視界が利かないほど激しい雪になっていた。
 どのくらいの時間が経ったのだろうか。
 病院のドアが開いて、一人の背の高い老人が車に乗り込むのが見えた。

「おかしいな」とわたし。
「そうですね、今日は遺体の搬送じゃないんですかね」とKくんもわたしの疑問を察して答える。
 病院のスタッフは誰も出てこなかった。
 しばらくの間があって、エンジン音が聞こえ、車が動き出した。
 雪が激しく舞う道路を、車は蒸気機関車のような排気ガスとともに走り出した。
 わたしたちは、ちょっと不意を突かれたような気持で、車の後姿を見送った。
「……」
 ふたりとも、無言だった。
 ただ、ふたりとも、同じ思いを抱いていたと思う。
 あの、背の高い、やせた老人のことである。
 あの老人のことを、わたしたちは知っている。

II

 翌日は、前日の雪が嘘のように、雲一つない晴天だった。
 店で朝のコーヒーをのみながら、わたしは少し前に、小説家の高橋源一郎さんが、オールタイムベストと評した、藤井貞和の作品「雪、nobody」のことを思い浮かべていた。

さて、ここで視点を変えて、哲学の、
いわゆる「存在」論における、
「存在」と対立する「無」という、
ことばをめぐって考えてみよう。
始めに例をあげよう。アメリカにいた、
友人の話であるが、アメリカ在任中、
アメリカの小学校に通わせていた日本人の子が、
学校から帰って、友だちを探しに、
出かけて行った。しばらくして、友だちが、
見つからなかったらしく帰ってきて、
母親に「nobodyがいたよ」と、
報告した、というのである。
ここまで読んで、眼を挙げたとき、きみの乗る池袋線は、
練馬を過ぎ、富士見台を過ぎ、
降る雪のなか、難渋していた。
この大雪になろうとしている東京が見え、
しばらくきみは「nobody」を想った。
白い雪がつくる広場
東京は今、すべてが白い広場になろうとしていた。
きみは出ていく、友だちを探しに。
雪投げをしよう、ゆきだるまつくろうよ。
でも、この広場でnobodyに出会うのだとしたら、
帰って来ることができるかい。
正確に君の家へ、
たどりつくことができるかい。
しかし、白い雪を見ていると、
帰らなくてもいいような気もまたして、
nobodyに出会うことがあったら、
どこへ帰ろうか。
(深く考える必要のないことだろうか。)


 あれは、詩人の小池昌代さんと、わたしと、そして高橋さんが、それぞれ好きな詩を持ち寄って、詩の魅力について語り合うというイベントだった。そのとき、高橋さんが「これがわたしのオールタイムベスト」だといって紹介してくれたのが、この詩である。
 高橋さんはこの詩を朗読した。
 その朗読が素晴らしく(詩が意味するところはほとんど追えなかったが)、わたしの目の前にありありと雪の光景が浮かび頭の中に nobodyという言葉が刻みつけられた。
 nobodyか。
 日本語にはない、不思議な意味と響きを持った単語である。
 そこに居て、そこに無い人物。

III

 さて、あの雪の日の、わたしたちが知っている痩せた、背の高い老人の話に戻ろう。
 わたしは、あの老人を「知っている」と書いた。
 その老人とは、わたしたちのカフェの常連で、いつも日に二回はやってきて、コーヒーをのんでくれたSさんのことだ。
 Sさんは、いつもコーヒーをのみながら、プリンターから吐き出された文献を読んでいた。その文献とは、いわゆるネトウヨサイトから印刷したもので、排外主義的な、「劣悪な」思想が書き連ねてあるもので、Sさんも時折、ネトウヨまがいの差別的なことを言うことがあった。

 そのほとんどが、「朝鮮人の陰謀」の類の、根拠のない悪意に満ちたものだったので、わたしたちは、Sさんのその手の発言は無視するか、話を逸らすかのどちらかの対応をした。
 しかし、それ以外のことに関しては、Sさんは申し分のない、優しい人格の、信頼のおける人物だった。
 おいしそうに、コーヒーを啜りながら、大好きなマイルドセブンをくゆらせていた。

 ところが、排外主義的なことを言うときだけは、まるで人が変わったように、顔を赤らめて、声を荒げるのである。
 優しい好々爺と、箸にも棒にもかからないようなイデオロジストが、ひとつの肉体の中に共存しているような、矛盾に満ちたひとであった。
 ある日、Sさんは自分が肺癌であり、脳にそれが転移したことをわたしたちに告げた。
 わたしたちがSさんの訃報を受け取ったのは、それから数日後のことであった。

 そう、それはあの雪の日の前日だったのだ。
 だから、黒い車が病院の前に止まり、病院のドアからSさんが出てきたときに、わたしたちは、自分たちの目を疑ったのである。
 もちろん、それはわたしたちの錯覚であった。
 しかし、錯覚というには、あまりにも、その姿はSさんそのものであり、あの雪の日そのものが、わたしたちの錯覚だったのではないかと思われるのである。
 しかし、その雪の日は確かにあったし、翌日の新聞には、雪による都内の交通が大混乱だったことが写真入りで報道されていた。
 だとすれば、わたしたちが見ていたのは誰だったのか。
 いま、わたしたちは、nobodyを見ていたのかもしれないと思うことがある。

 あるいは、
 わたしたちが知っている二人のSさんのうちの、片方が、死にきれずに迷い出たのかもしれないなとも思う。
 だとすれば、わたしたちが目撃したSさんは、どっちのSさんだったんだろうか。いや、Sさんの不在そのものだったのかもしれない。

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いごごちのカタチ

平川克美
立教大学大学院特任教授

1950年東京生まれ。早稲田大学理工学部機械工学科卒業。現在、株式会社リナックスカフェと株式会社ラジオカフェで代表取締役をつとめる。立教大学大学院ビジネスデザイン研究科特任教授。著書に『ビジネスに「戦略」なんていらない』(洋泉社新書y)、『株式会社という病』(文春文庫)、『移行期的混乱―経済成長神話の終わり』(筑摩書房)、『小商いのすすめ』(ミシマ社)、『俺に似たひと』(医学書院)、『「消費」をやめる~銭湯経済のすすめ』(ミシマ社)、『路地裏の資本主義』(角川SSC新書)など。最新刊は『「あまのじゃく」に考える』(三笠書房)

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