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かぞくのカタチ

平川克美の“住めば都落ち”

平川克美

平川克美(立教大学大学院特任教授)
人生の「後退期」もまた楽し。おもしろい話は家のまわりにいくらでも転がっている。
50歳を過ぎたあなたに届けたい達人の「住まい方」指南。

かぞくのカタチ

平川克美の“住めば都落ち”

第23回 路地裏映画館⑤まだ見ぬ名作『裏町ボブスレー』

 テレビを点ければ、平昌オリンピックの話題で大盛り上がりである。お前ら、カーリングだとか、パシュートだとか、日ごろは見向きもしない競技なのに、メダルを取りそうだというだけで絶叫してやがる。何が面白いんだと思ってミカンの皮をむきながら観ていたら、我知らず皮むきの手を止めて画面に見入ってしまうというような経験をして、思わず苦笑してしまった。
「東京にオリンピックなんかいらない」という共著を二冊ほど書いている身としては、どうしてもオリンピックという巨大化し、マーケティング化し、政治化し、賄賂化した大会を素直には観ることができなくなっている。まあ、一言で言えば、官制イベントですね。

 そもそも、オリンピックというものは何だか、人間の業というか、暗い情念というか、日ごろはなるべく陽の当たらぬ場所に隠蔽している始末の悪い精神を解き放ってしまうような危険な装置なのだ。チームワークを称え、国家を背負う選手という物語を無理やり作り出し、努力と友情の美談を仕立て上げ、勝った負けたでメダルの数を数えている。大会後の国民栄誉賞だとか、日本凄い、チームワークだ絆だとかいうすかすかのマーケティング戦略に回収されていくのを見るのも辛いものだ。

 先日、政治学者の岡田憲治氏と対談したのだが、何ものも代表しない個対個、あるいは世界中のローカルな物語を代表するおらが村の、おらが会社の、おらが組織の腕自慢同士が、その技を競うというのが近代オリンピックというものではないのかというような話をしていて、それはまあ、そのとおりなのだが、やはりそれでもナショナリズムの熱狂という物語が無ければ、これほど盛り上がることはないはずだという、日ごろは絶対に言わないナショナリズム擁護の発言をしてしまった。

 なんでそんなことを言ったのかといえば、先日偶然に観た、ヒトラーの誕生日を祝うフルトベングラーの第九があまりに常軌を逸しており、悪魔的であり、それゆえ比類のないほどの高みに達しており、一言で言えば痙攣的な名演だったからである。

 そういえば、レニ・リーフェンシュタールが作ったベルリンオリンピックの記録映画『民族の祭典』も、同様の痙攣的な美しさがあった。「もし美があるとすれば、それは痙攣的なものだろう」とは、シュールレアリズムの首領アンドレ・ブルトンが『ナジャ』で書いた最高にかっこいい文句だが、わたしはナショナリズムの熱狂が作り出す超越感にこそ、痙攣的という言葉を与えたいと思うのだ。

 そして、このナショナリズムが作り出す熱狂というものを頭で否定していただけでは、ナショナリズムがもたらすであろう差別感情や、お国自慢を乗り越えていく近代の物語は作り出せないだろうと思ったのであった。

 その意味では、今回の平昌オリンピックは、なかなか面白い話題を提供してくれた。ひとつは、オランダ人コーチに率いられたチームパシュートの活躍であり、もうひとつは金メダルや銀メダルよりもうれしさがこみ上げてきた北海道北見のカーリング女子たちが笑顔で勝ち取った銅メダルだった。

 とくに、実況の現場から聞こえてきた「そだねー」という北海道なまりは、ナショナリズム的な痙攣的な高揚で凝り固まった筋肉を、ほんわかとしたローカリズムでもみほぐしてくれた。ナショナリズムを高揚させる物語は、それがどんなに大掛りで、大金を投入しようと、所詮はつくりものであり、幻想でしかない。この虚構に対抗できるのは、より大掛かりな大金投入ではなく、北見の町で細々と築き上げられた「ささやかだけど、語るに足る」本物であったことに、安堵を覚えたのである。

 それに対して、ナショナリズムや、お国自慢、チープな日本凄いの物語が全開したのが「下町ボブスレー」であった。わたしは、観てはいないのだが、テレビドラマにまでなった大田区の職人たちがこしらえたボブスレーが、やはり弱小チームであるジャマイカチームによって採用され、それが世界のひのき舞台で活躍するという筋書きには、はなから胡散臭さが漂っていた。

 この最もチープな物語の下絵には、おそらくは池井戸潤の『下町ロケット』や、1993年に公開されたジャマイカボブスレーチームの活躍を描いたアメリカ映画『クール・ランニング』があったのだろう。

 『クール・ランニング』は、前近代的で、野生的なジャマイカチームが、元金メダリストでいまは肥満酒浸りのアメリカ人をコーチに迎えて、おんぼろソリでオリンピックに出場し、大旋風を巻き起こすといういかにもありそうな、「大逆転」ものである。
 こういうの、みんな好きなんですよね。『ロッキー』も『あしたのジョー』も、『がんばれベアーズ』も『スウィングガールズ』も同じ話型であり、わたしもまた、こういう話型が大好きで、どこかに「いばっているバカな成功者」による支配を打ち破りたいという願望が投影されているんでしょうね。

 だが、幸か不幸か、いや幸いなことに『下町ボブスレー』の物語は頓挫することになった。詳細は不明なのだが、当初は日本製を使うという契約をしていたジャマイカチームは、前年のワールドカップの際に、輸送トラブルで納入の遅れたソリに代わって使ったラトビア製のほうが、いいタイムが出たということで、平昌五輪直前に、日本に対して契約の破棄を通告してきたというのである。

 これに対して、日本側は、契約違反であるとクレームをつけていたわけだが、あきらめきれずに平昌にソリを持ち込んで、ジャマイカが翻意するのを待っていた。最後は、タダでもよいので日本製を使うように迫ったらしいのだが、ジャマイカチームはこれを拒否し、結局ラトビア製を使って競技したようである。

 案の定というか、忖度なのか、よくはわからないが、テレビはボブスレー競技をまったくといってよいほど放送しなかった。
 ジャマイカチームがタダでも使いたくなかった理由が分かりそうな気がする。おそらくは、「美しい物語」とは真逆の、下心と、優越感と、商業主義が、美談という衣の下に透けて見えてしまったのだろうと思う。

 さて、この件に関しては、わたしは同じ大田区の町工場の倅として、言っておかなくてはならないことがある。

 そもそも、大田区は「下町」じゃない。銀座や浅草なら下町と呼んでもよいのかもしれないが、戦後羽田浦から多摩川沿いに伸びていった家族経営の町工場(まちこうば)は、場末に生きている貧乏人たちが生きて行くための最後の砦のような場所だった。
 工場で働く旋盤工やプレス工は、技を磨き、道具を開発し、技術を受け継ぎながら、間違いなく戦後日本の高度経済成長を下支えした。

 戦後まもなくは9000はあったという町工場だが、いまはその半分以下にまで減少した。そして、生き残っている町工場も、親会社の生産調整のバッファにされ、細々と日を継ぐような経営を強いられている。

 大田の旋盤工にして作家の小関智弘さんは、わたしにとっては兄貴分のような方なのだが、『大森界隈職人往来』『羽田浦地図』『錆色の町』などのルポや小説のなかで、寡黙な職人たちの矜持や、生きることと働くことが同義であるようなエートスを活写している。大田の職人について語るのであれば、ぜひとも一読していただきたいものである。かれらには、オリンピックで世界のひのき舞台に立つなどという晴れやかな場所は似合わない。長く辛い下積みと研鑽を経て、生きて行くための技術を獲得してきたのである。
 はたして、下町ボブスレーの企画に関わった大田区の産業振興課や、町工場の経営者たちは、小関作品を読んだことがあるのだろうか。
 『下町ボブスレー』は、大田の町工場の世界を利用した悪質なマーケティング案件だった。ジャマイカチームがこれを採用しなかったことは、むしろ幸いだった。

 と、ここで、話は終わるはずだった。ところが、ボブスレー男子二人乗りで、ジャマイカにもソリを提供したラトビアチームが銅メダルを取ったというニュースが入ってきた。放送もされておらず、ほとんどの日本人はやり過ごしてしまうささやかなニュースである。

 ジャマイカに提供したラトビア製のソリを制作したのは、ラトビアの元ボブスレー選手が作った町工場である。社員数は、7名か8名ぐらいの小さな所帯である。この社長は、競技中の怪我で引退を余儀なくされ、不遇の日々を送っていたと言う。そして、自らの競技人としての経験を生かしてソリを制作する工房を作ったのである。

 はたして、ラトビアチームが採用したソリが、この会社が作ったものだったのかどうかは詳報がないので確かなことは言えない。しかし、わたしは、ラトビアというバルト海に面した人口200万人ほどのちいさな寒い国の職人の物語は、『クール・ランニング』以上の豊饒な物語になるような気がするのである。

 ボブスレーというマイナーな競技には、裏町がよく似合う。そんなイメージがわたしにはある。ネットで、ラトビアの町の写真を観たら、これが裏町とはほど遠い、お伽の国のようなカラフルで、美しい建築が並ぶかわいらしい国であった。
 どうやら、わたしは、裏町や下町に対する思い込みが強すぎたのかもしれない。だったら、お伽の国のボブスレーでもいいかもしれない。いい童話になると思う。

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平川克美
立教大学大学院特任教授

1950年東京生まれ。早稲田大学理工学部機械工学科卒業。現在、株式会社リナックスカフェと株式会社ラジオカフェで代表取締役をつとめる。立教大学大学院ビジネスデザイン研究科特任教授。著書に『ビジネスに「戦略」なんていらない』(洋泉社新書y)、『株式会社という病』(文春文庫)、『移行期的混乱―経済成長神話の終わり』(筑摩書房)、『小商いのすすめ』(ミシマ社)、『俺に似たひと』(医学書院)、『「消費」をやめる~銭湯経済のすすめ』(ミシマ社)、『路地裏の資本主義』(角川SSC新書)など。最新刊は『「移行期的混乱」以後——家族の崩壊と再生』(晶文社)

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