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いきかたのカタチ

スポーツ、観るする

平尾 剛

平尾 剛(神戸親和女子大学講師)
元日本代表ラガーマンが書き下ろす「スポーツは、だから面白いし飽きない」。
読めばもっと身体を動かしたくなる、面白いゲームが観たくなること必至。

いきかたのカタチ

スポーツ、観るする

第15回 祭りを楽しむように〜2019年ラグビーW杯日本大会〜

 ラグビーW杯が来年秋に日本で開催されるのをご存知だろうか。アジア初開催という記念すべき大会にラグビーファンは心を躍らせているのだが、ラグビーがまだまだマイナースポーツなここ日本では、このエキサイティングな事実を知る人は少ないと思われる。

 とはいえジャパンが南アフリカから勝利をもぎ取った2015年の前回大会は、さすがに記憶に残っているだろう。「世紀のアップセット(番狂わせ)」として、このニュースは世界を驚かせた。南ア戦の勝利は五郎丸フィーバーを巻き起こすなどささやかなブームが到来したがそれも長くは続かず、いつしか沈静化されて現在に至っている。昨年末には強豪国フランスに引き分けるなど、ジャパンはその実力を着実に高めてはいるが、それに伴う人気を獲得しているとは到底言い難い。
 ラグビーマンとしては寂しいところだ。

 だから日本開催という願ってもないこの機会に、ぜひ多くの人に再びラグビーのオモシロさを知ってもらいたい。転がればその行方が予測しづらい楕円球を手に、巨躯をぶつけ合いながらパスを繋ぎ、右に左にステップを踏みつつ快足を飛ばすラグビーの醍醐味を、できればライブで楽しんでいただければと思う。
 この願いを込めつつ、今回はW杯の魅力について書いてみたい。実際に出場したときの感懐を手繰り寄せながら、僕にとっての、またラグビーファンにとってのW杯を描き出してみようと思う。

 僕は1999年にウェールズで開催された第4回大会に出場した。30人の日本代表メンバーに選ばれて現地に乗り込んだのは24歳のときだった。
 ラグビーには「キャップ」という制度がある。互いに認めた国同士の試合である「テストマッチ」に出場すれば与えられるのだが(実際に「帽子」が授与される)、当時の僕はまだ4キャップの新人代表選手だった。だからチームに馴染むことばかりが念頭にあって、W杯に出場することがどれほど貴重で稀有なものかを十分に理解していなかった。右肩の脱臼癖を抱えていたこともあり、まだまだチームの一員になりきれていないと感じていた僕は、今は亡き平尾誠二監督をはじめスタッフやチームメイトに一日も早く認めてもらいたい。そのことばかりを考えていた。

 恥ずかしながらその実感が湧いたのは、親しい人たちからあふれんばかりの祝福を受けたあとになってからである。家族や友達、職場の方々が想像以上によろこんでくれる様子をうかがい、そこで初めて僕はW杯の重みを肌で感じたのだった。

 そうしてウェールズに乗り込んで感じたW杯の印象は、「祭り」だった。
 滞在した街のあちらこちらには対戦カードが記された看板などの広告が為されていたし、ふと立ち寄ったCDショップではこれみよがしに貼られた大きなポスターがひときわ目を引いた。店員や道行く人たちも、僕たちが日本代表選手団だとわかると気さくに話しかけてきた。

 なかでもオフの日にチームメイトと足を運んだパブでの出来事が印象深い。入店した途端、ターンテーブルを回すDJが僕らを歓迎するメッセージをアナウンスしてくれて、店中の注目を浴びた。拍手が沸き起こったあと、ご機嫌な酔客から次々にビールが手渡された。おかげで僕たちは一銭も払わずに浴びるほど酒を飲んだ。ほどよく酔いがまわってきたころ、20代と思しき男女グループに店の奥のソファ席に案内されて、彼らと片言の英語で会話しながら紙コップに注がれたビールを飲んだ。僕の肩に手を回し、「打倒! イングランド!」と連呼していたあの陽気な人たちは、元気にしているだろうか。

 他のスポーツに比べるとラグビーW杯は開催期間が長い。コンタクトスポーツだから体力の消耗が激しく、選手のコンディションを考えて試合間隔を空ける必要があるからだ。今度の日本大会は9月20日に開幕戦、11月2日に決勝戦が予定され、1カ月以上に亘って熱戦が繰広げられる。予選プールでは中3日という過密日程もあるが、決勝トーナメントに入ると1週間に1試合となる。つまり決勝トーナメントの試合をすべて観戦するとなれば2週間もの長期滞在を余儀なくされ、そのほとんどの時間はスタジアム以外の場所で過ごすことになる。試合会場となった街々で食事や酒を味わい、ときに観光地にも足を伸ばしながら開催国の文化に触れつつ優勝国の行方を語り合うのだ。

 白熱した試合に拳を握りしめたあとは、興奮そのままに街に出る。ふと立ち寄った酒場にはガタイのいい人たちが陽気に酒を飲んでいる。その日に行われた試合に関して、あるいはそれぞれが思い描く今後の予想をあれこれ語る。スタジアムでも街中でも、試合そのものもそれが終わってからも、祭典が続いているあいだは非日常的な雰囲気がそこはかとなく漂うものだ。
 
 続いてグラウンド内での話をしよう。
 先にも述べたが、日本代表選手に選ばれてまだ日が浅かった僕は、この大会で試合に出ることは難しいと思っていた。監督からも直々に大会後や次回大会に向けての人選である旨を伝えられていた。だが、幸運にも2試合目に試合出場のチャンスが巡ってきた。同じポジションを務めるチームメイトが初戦のサモア戦で怪我をしたのだ。

 サモアに敗戦を喫し、決勝トーナメントに進出するためにはあとがなくなった日本代表が背水の陣で臨んだ2戦目のウェールズ戦に、僕は出場した。
 7万人を超える地元ウェールズのファンで埋め尽くされたスタジアム。チームカラーのレッドに染まった観客席からは地響きのような歓声が響き渡る。お椀型のスタジアムがその声を一層引き立て、まるで地面から突き上げるような大反響に冷静さを保つのが難しかった。

 この試合のある場面が今でも強烈に印象に残る。
 試合開始まもなく相手SO(スタンドオフ)のニール・ジェンキンスがハイパント(高く蹴り上げるキック)を蹴ってきた。意外だった。というのは、当時のウェールズはランニングラグビーが持ち味で、パスを細かくつないで攻撃する戦い方を得意としていたからだ。我々は当然それを踏まえており、十分に対策を練った上で試合に臨んでいた。たとえ自陣からでも積極的にパスをつないでくる。そう身構えていたところに、いきなり何の変哲もないハイパントを蹴ってきたというわけだ。意表を突かれた。

 この試合で僕が務めたFB(フルバック)というポジションの役割の一つに、キックの処理がある。相手のキックを予測してポジショニングをとり、キャッチしたあとはランなりキックなりで陣地を取り返すのが仕事だ。だからほとんどの時間を最後尾で一人ポツンと立っていることが多い。

 ジェンキンスは、その僕をめがけてまっすぐ蹴ってきた。空いたスペースを狙っての合理的なキックではない。いうなればみすみす攻撃権を明け渡すような平凡なキックだった。ただし、その高度と滞空時間は並外れていたが。
 僕は疑問を感じた。なぜここでハイパントなのだろうかと。
 その瞬間、周囲から一切の音が消えた。時間もゆっくり流れ始め、さまざまな考えが脳裏を過ぎった。

(あれ? パスをつなぐチームじゃなかったっけ?)
(なのになんでキックやねん?)
(なんて考えるよりもまずはこれをきちんとキャッチせんと)
(もしキャッチミスをしたら、チームの勢いを削ぐことになるし、画面越しに観ている日本中のラグビーファンの期待を裏切ることにもなるな)
(そうなったら格好悪いし、なにより仲間に会わせる顔がなくなる……)
(どないしよ……)
(しかし、これはすっごい観客の数やなあ。しかもそのほとんどがウェールズファンやから客席全体が真っ赤っか。完全アウェイ)
(でもなんでキック? なんで??)
(そうか! 僕がまだ経験が浅いことを知っての挑発か! 弱点をきっちり突いてくるところがさすがやな)
(それにしてもボールが、ボールが落ちてこーへんなあ)
 わずか数秒の間に僕はこんなことを考えていた。

 ゆっくりゆっくり落ちてくるボールを慎重に見極めながら、やがて落下点に入ると腕で抱えるようにキャッチした。一瞬、手元に収まったボールはその行方をくらませ、腕からすり抜けたように感じたので慌てて掴みなおした。落球の心配からくる重圧をかわして、なんとか事なきを得たのだった。
 繰り返すが、この間ほんの数秒。一切の音が遮断された静穏な環境に一人だけ身を置いたような不思議な体感だけが今もなお鮮烈に残る。おそらくこれは、M・チクセントミハイが提唱した、極度の集中状態を意味する「フロー体験」だろうと思う。

 結局、試合には負け、その後のプレーも自分では決して満足のゆく出来ではなかったのだが、なぜだかこの「ハイパントキャッチ」だけは心に焼きついて離れなかった。なぜ彼はあそこでキックを選択したのだろうという疑問は、ノーサイド後も余韻を引いていた。
 それがわかったのは試合後間もなく、ウェールズのロッカールームを訪れたときだった。

 ジャージを交換する目的で仲間たちとともに恐る恐る足を踏み入れた。すると着替え途中と思しき数人の選手たちが、他会場で行われている試合を備え付けのテレビで観ながら談笑していた。ふと僕らの来訪に気づいた一人の選手が手招きして、お前らもこっちに来て一緒に観ようと誘ってくれた。試合後すぐとは思えないほど彼らは温和で、無邪気だった。

 そこでふと先の疑問が氷解した。なるほど、あのキックは僕を「おちょくった」んだなと。どの世界にもある、新入りに向けて先輩がちょっかいを出す、あれだなと。国境線を隔て、言語も慣習も異なる他国の選手に向けてまであんなふうに「遊ぶ」その態度に驚き、そして感動してしまった。これは勝てるわけないよなと、あえなく白旗を揚げたのは言うまでなく、しかしそれよりもラグビーなるものの本質に触れたよろこびが身体じゅうに広がり、筆舌に尽くしがたい高揚感で満たされた。

 あのキックを通じて僕はニール・ジェンキンスと「会話」をしたんだ。
 そう直観した。興奮が冷めやらなかった。
 たとえばチームメイト同士がパスで会話することはよくある。いわゆる「阿吽の呼吸」ってやつだ。これはたとえ試合でなくとも練習のちょっとした場面でも感じられる。「あなたと私がつながった」というあの身体実感は、ラグビーのみならずゴール型競技に共通するオモシロさだろう。

 でも対戦相手とのそれとなると、なかなか難しい。今まさに敵対する相手とここまで深くコミュニケーションできたのは、後にも先にもこのときだけだ。セオリーを度外視した「ちょっかい」としてのあのキックは合理的でも効率的でもなく、そこには当事者にしか感じられない無言のメッセージが込められている。それを互いにやりとりする。これがラグビーの醍醐味の一つだと僕は確信している。

 ラグビーはもともとイギリスの街々で行われていた「フットボール」が起源である。シャッターを閉じた店が軒を連ねる目抜き通りで街の男たちが一つのボールを奪い合い、定められたゴールへと運ぶ。真剣にプレイする男たちがいて、その様子を周りで囃し立てながら楽しむ人たちがいる。この時代の「フットボール」は街を賑やかし、住人同士の絆を強めていた。
 プレイする人も観て楽しむ人も、それぞれの立場においてつながりが生まれる。

 思い起こせば同じチームに所属する外国人選手は、試合メンバーから外れたらそそくさと街に繰り出していた。選考から漏れたことをこれみよがしに悔やしがることもなく、気持ちを切り替えて「祭り」を楽しんでいたのだと思う。現役引退時の会見やインタビューで、現役時代を振り返って「世界中に友達ができたこと」と口にする選手は多い。この「友達」は、他国の選手のみならず街場で出会った人などラグビーを通じて広がったつながりすべてを指し示しているはずだ。

 2019年大会では、この「祭り」としてのラグビーを多くの人に味わってもらいたい。ルールが覚束なくてもいい。鍛え上げられた肉体同士がぶつかり合うスクラムやタックルは、その迫力にただただ興奮するだろうし、華麗なパス回しには思わずため息がこぼれて目が奪われるはずだ。試合が終わればそれを肴に酒を飲み、思いのままに語ってほしい。
 4年に一度の盛大な「祭り」を存分に楽しんでもらえるように、これからもラグビーの魅力を僕なりに発信し続ける。

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平尾 剛
神戸親和女子大学講師

1975年大阪生まれ。同志社大学を卒業後、三菱自動車京都を経て神戸製鋼所に入社。1999年、ウェールズでの第4回ラグビーW杯日本代表(FB)に選出。2007年に現役を引退し、現在は神戸親和女子大学講師。著書に『合気道とラグビーを貫くもの』(内田樹氏との共著、朝日新書)。この秋、ミシマ社から『近くて遠いこの身体』を上梓した。

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