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いきかたのカタチ

スポーツ、観るする

平尾 剛

平尾 剛(神戸親和女子大学講師)
元日本代表ラガーマンが書き下ろす「スポーツは、だから面白いし飽きない」。
読めばもっと身体を動かしたくなる、面白いゲームが観たくなること必至。

いきかたのカタチ

スポーツ、観るする

第12回 記憶の集積としての「国立」

 まだまだ先だと思っていた東京五輪がわずか3年後に迫っている。

 2015年の7月には新国立競技場建設問題が物議を醸し、僕も元アスリートの立場からSNSや新聞などのメディアを通して私見を述べた。あまりに巨額な建設費用に異論を投げかけたわけだが、いうまでもなくスポーツに携わる立場からは五輪開催を歓迎しないわけではない。
 ラグビーというスポーツを通じて得たもの、感じたことは今の僕自身の糧になっているわけだから、そのビッグイベントしての五輪を否定する気はさらさらない。スポーツ界を席巻する勝利至上主義や商業主義、あるいは過剰な上下関係や指導者による体罰問題など、可及的速やかに解決すべき問題が山積してはいるものの、それでもスポーツは私たちにさまざまな恵みをもたらしてくれると思っている。

 スポーツは素晴らしい。その思いは絶えず僕の胸にある。
 しかし、いやだからこそ、新国立競技場建設問題から目を逸らすわけにはいかなかった。その後のエンブレム問題や東京都におけるボートやカヌーなどの会場問題なども含め、東京五輪をめぐってのさまざまな報道に触れるたびに、今も忸怩たる思いに駆られる。

 大学生のころは「国立」を目指して練習に励んでいた。
 大学選手権では準決勝以降の試合が「国立」で行われることになっていた。大学日本一を目標に掲げる母校・同志社にとってベスト4はあくまでも通過点でしかないが、長らく優勝から遠ざかっていることもあり、それは現実的な到達点だった。

 そんなチーム事情を尻目に、僕はただ端的に憧れていた。約6万人の観衆に見守られながらの試合、新日鉄釜石や神戸製鋼、早稲田、慶應、明治などかつての強豪チームや伝統校が鎬を削ったスタジアムに、そこはかとない憧れを抱いていた。

 ラグビー界で今も語り継がれる、松尾雄治率いる新日鉄釜石と平尾誠二がタクトを揮う同志社大学との日本選手権決勝(1985年1月15日)は、小学生の頃にその試合をカーラジオで耳にしていた僕にはっきりと記憶の爪痕を残している。家族旅行の帰りの車の中で聞いた、「痛み止めの注射を打ちながらプレーする選手がいる」というかすかな記憶は、中学生になったのちに僕がラグビーにのめり込むきっかけにもなっている。
 この試合の舞台も「国立」だった。

 その「国立」が取り壊されると知り、その直前の2014年5月30日に僕は東京出張の際に足を伸ばして「国立」を訪れた。翌日には解体を偲ぶ趣旨のファイナルイベントが予定されていたが、セレモニー的な内容のそれにはどうしても足が向かず、思い出の場所を目に焼き付けるべく一人静かにその周辺を歩くことにしたのだ。のんびり歩く道すがら、その姿を偲ぶかのように一眼レフを構える人たちがいた。彼らに混じりながら、僕は手持ちのガラケーで写真を撮った。

 1964年の東京五輪を記念する石碑、正面入り口のコンクリート壁に刻された五輪のマーク、「国立最後のKICK OFF」と書かれたラグビー日本代表対香港代表戦の告知ビラなど、思いつくままにシャッターボタンを押した。これらの写真は、昨年ようやく新調したスマートフォンに保存しているが、解像度が低くてどことなくぼやけている。その古びた感じが時の流れを想起させ、幾度となく試合前にバスで乗りつけた通路やウォーミングアップをしたタータンも、いい具合に色褪せた記憶としてよみがえってくる。

 神戸製鋼に入部したころからだろうか、大学時代に憧れていた「国立」もいつしか数多の試合を行うスタジアムのうちの一つでしかなくなっていった。そこで試合することが当たり前になったからだ。

 2001年にサントリーサンゴリアスとの死闘を演じた舞台としては思い入れがあるものの、学生時代に感じていた憧れは徐々に、そして確実に薄れていった。ピッチが観客席から遠いので臨場感に欠けるとか、風が舞いやすいのでキック処理が難しいとか、プレーをする上で支障となる条件に囚われ、むしろ否定的な印象さえ抱くようになった。秩父宮ラグビー場や花園ラグビー場など他のスタジアムとの比較において、その良し悪しを判断するようにもなっていった。

 弁明になるかもしれないが、試合でのパフォーマンスを最大の目的とする選手にとって、こう感じるようになるのは仕方がないことだと思う。
 選手の務めは、チームの優勝に貢献すべく、また観客やファンの期待に応えようとしてプレーすることだ。だからボールの跳ね方や風の向き、臨場感など、勝敗を左右する直接的なファクターに意識の大半が向くのは避けられない。特にプロスポーツは勝敗や個々のパフォーマンスが求められるわけで、いかなるスタジアムであろうが勝たなければならないし、安定したプレーを披露しなければならない。そこに「憧憬」といった生温い感情を持ち込むことはできない。冷静、いや冷酷に、淡々とシンプルに、自らの役割を遂行しなければ、さまざまな重圧がかかる舞台でパフォーマンスを発揮することは難しい。

 いざ試合に臨む場面ではオートマティックに身体が動く状態をつくらなければならない。憧憬といった、あとに余韻を引くような心的な動きはできる限り排除する必要がある。理想は荘子がいうところの「木鶏(もっけい)」である。木彫の鶏は憧れなど抱かない。

 憧憬から始まり、それに引っ張られるようにしてのめり込んだ僕のラグビー人生だったが、長らく競技を続けるなかでいつしか手放してしまった。木鶏たり得るべく努力する過程で、かなぐり捨ててしまった。だが、引退したあとに「国立」を訪ねたことがきっかけとなり、そこからゆっくり時間をかけて出発点となった憧憬を再発見するに至った。取り壊される前の「国立」を歩くなかでふと心に去来したのは、“コクリツ”と口にするだけで高揚した、あのときの心持ちだった。
 カーラジオからの情熱的な実況、大学時代の感懐がふと浮かび、ただ楕円球を追い続けたあのころの純粋な心の内が、今ありありと胸に広がっている。

 僕はこれまでの人生の半分ほどの時間をラグビーに費やした。途中でやめようと思ったことも何度かある。社会人になるときには第一線から身を引く決断もした。それでも再び舞い戻り、日本代表にも選出された。度重なるけがに悩まされながら19年もの長きに亘って取り組んだラグビーとは、僕にとっていったいなんだったのだろう。

 この問いの答えを僕は生涯をかけて考え続けるように思う。「生涯をかけて」というのはいささか大げさかもしれない。この見通しにはおそらく個人差があるだろう。だが、スポーツに打ち込んだすべての選手は、引退後のこうした回顧を通して長らく情熱を注いできたスポーツの、自分にとっての意味を見出そうとするのではないだろうか。かつて汗を流したスタジアムや、ともに戦ったチームメイトや対戦した相手選手との交流を通して。また、直接的には関わりのない年齢の離れた先輩や、彼らとの試合を通して。

 東京五輪の会場選定の際によく使われる言葉に「レガシー(遺産)」がある。この言葉を耳にするたびに僕は違和感が生じるのを禁じ得ない。
 レガシー(遺産)というのは、いってみれば記憶の集積だ。選手と観客の記憶の相乗効果によって立ち上がる雰囲気みたいなもので、これは箱物を建てたからといって醸成されるものではない。そこでのドラマに関わる人たちの想いが数十年という長きに亘って堆積してゆくなかで、初めて築かれる。

 レガシーとは、意図的に「つくる」ものではなくそれなりの時間をかけて「なってゆく」ものなのだ。選手と観客、さらにそれにまつわる人々の息吹が吹き込まれることで、私たちはその「場」をレガシーだと感じるようになる。そこでの試合に身を投じた者と興奮気味に観戦した者とが、当時の高揚や落胆を思い出し、それを誰かに語り継ぐなかで徐々にかたちづくられる。   
 レガシーとはそういうものだろうと思う。

 さらに昨今、声高に叫ばれる「プレイヤーズファースト」という言葉も、僕にはどうにも解せない。そこまで繰り返し強調するのなら、かつて競技に明け暮れた「場」をもう少し大切にしてはくれないものか。老朽化に伴う改修は仕方ないにしても、政治的な意図や経済効果という目的でそうやすやすと壊されてはたまらない。

 昨秋、急逝した平尾誠二は、広義に言うのであれば「見る人」もプレーヤーだと言えると述べていた。観客をも含めた私たちの記憶が集積するメルクマール(指標)としての「場」、それを尊重することこそがこの言葉の真義だと僕は思う。

 効率性や合理性、経済性が大手を振る今日の社会では、これらを旗印にスクラップ・アンド・ビルドが否応なしに進む。容易には抗い難いこうした流れの中で、記憶の集積としての「場」が消失しつつあるとすれば、人生をふくよかにするような記憶をも失っていることにならないだろうか。

 詩人の長田弘は、「じぶんの記憶をよく耕すこと。その記憶の庭にそだってゆくものが、人生とよばれるものなのだと思う」と言う。記憶を耕すためにその場を訪れ、そうしてよく手入れされた土の上に人生が芽吹き、その幹を太くするのだとするならば、私たちは大切ななにかを失い続けている。この大切ななにかについて、少し立ち止まって考えてみる時間が今の私たちには必要だと思う。
 言うまでもなくこれは新国立競技場建設問題だけに限らない。

 僕にとっての「国立」は、自らのラグビー人生を語るときには決して外せない、大切な場所だった。「聖地」だった。僕の競技人生そのものとしての記憶が宿る「場」は、今ではもう色褪せた写真のなかにしか存在しない。
 だからこうして書き記す。これからも書き続けるし、書かざるをえないのだ。

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いきかたのカタチ

平尾 剛
神戸親和女子大学講師

1975年大阪生まれ。同志社大学を卒業後、三菱自動車京都を経て神戸製鋼所に入社。1999年、ウェールズでの第4回ラグビーW杯日本代表(FB)に選出。2007年に現役を引退し、現在は神戸親和女子大学講師。著書に『合気道とラグビーを貫くもの』(内田樹氏との共著、朝日新書)。この秋、ミシマ社から『近くて遠いこの身体』を上梓した。

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