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いきかたのカタチ

絵を飾る人のキモチ

橋爪節也

橋爪節也(大阪大学総合学術博物館教授・前館長)
「あの人は、どんな絵と共に暮らしていたか」。
気になるお題を、美術史家が豊富な事例とエピソードを添えて解き明かす。暮らしのヒントも。

いきかたのカタチ

絵を飾る人のキモチ

第11回  猫谷に笑う三賢人~長沢蘆雪の襖絵から、再び「世界遺産」に
突っ込みかけた話

 前回、世界遺産に突っこんで〈環境絵画〉としての襖絵が面白いことを書いた。

 室町時代に住宅のあり方として書院造りが誕生し、襖で仕切られた部屋で過ごすのが日常になったとき、それらの部屋を装飾したのが襖絵(障壁画)である。どんな都心の一戸建てでも、山水画が襖に描かれていたなら、イメージの世界で深山幽谷に分け入り、森林浴を満喫できるし、花鳥画の襖なら、清冽な谷川の流れる渓谷を逍遙し、バードウォッチングしている気分を愉しめる。襖絵とは壁紙であり、室内で外に開かれた〈環境絵画〉だという話だった。

 どこのお宅も畳敷きの部屋が普通であり、襖絵が建具として生きていた時代は、画家の個性は少し後ろに下がっても、そこで生活する人たちが、部屋の主人公として快適に過ごせるように描いたのである。

 しかし、そうした画家の自我を抑え気味にした〈環境絵画〉というより、近代的な芸術家意識と言えるほど、画家の個性が絶妙に襖絵制作に決まった江戸時代の名作を、この秋の展覧会で見た。
 和歌山県立博物館で開催された特別展「蘆雪溌剌―草堂寺と紀南の至宝―」に出品された長沢蘆雪(ろせつ)の襖絵群である。

▲平成6年(1994)開館の和歌山県立博物館。設計は黒川紀章

 長沢蘆雪(1754~1799)は写生派の巨匠・円山応挙の高弟で、和歌山県白浜町にある臨済宗東福寺派の草堂寺が、天明6年(1786)に津波被害から本堂が再建されるに際し、名代として師匠応挙の描いた襖絵を運んできた。

▲草堂寺山門。もとは真言宗の円光寺という寺院だったが、慶安元年(1648)に再興された際、臨済宗に改宗して寺号も改めた

 明るい南紀の空気や人たちと波長があったらしく、蘆雪は滞在中に数々の名作を描いた。草堂寺のほか、串本の無量寺や成就寺、田辺市の高山寺などにも襖絵を残し、多くが国重要文化財に指定されている。

 展示室で、あらためてオッ!と思わされたのが、有名な「虎渓三笑(こけいさんしょう)」を描いた襖絵である。「虎渓三笑」の話は次の通り。

▲展示中の《虎渓三笑図》 長沢蘆雪筆 草堂寺蔵 重要文化財

 中国の廬山に慧遠(えおん・334〜416)という僧が隠棲していた。浄土教を広めることに力のあった高僧で、清浄な廬山の地に移り住んでからは俗世間に出ることを厭い、虎渓と名付けられた谷の川に架かる橋を越えて、その先には出ないと誓っていた。

 ある日、詩人の陶淵明(とうえんめい・365〜427)と道教の道士である陸修静(りくしゅうせい・406〜477)が訪れる。帰路につく二人を送って行く途中、話に夢中になった慧遠は不覚にも石橋を渡ってしまう。その時、渓谷の奥から虎の鳴き声が聞こえてきた。それを聞いた慧遠は我に返り、今日は楽しくて誓いを破ってしまったよ、と三人で呵々大笑した話である。

▲《虎渓三笑図》(部分) 橋の右端に猫がいる 長沢蘆雪筆 草堂寺蔵 重要文化財

 陶淵明の絶句「飮酒二十首」の「悠然として南山を見る」の南山も廬山のことだが、淵明が儒教とすれば、仏教・儒教・道教の三人の賢者が話に夢中になって誓いを破ったという故事である。
 三人それぞれは生きた年代が違うので架空のことなのだが、楽しそうな話だ。それにこの場は、微笑や皮肉な笑いではなく、大爆笑でなくてはならない。それが仏教・儒教・道教の垣根を吹き飛ばし、三賢人に内在するパワーを感じさせる。



 それを蘆雪がどう描いたかと言うと、三人目はお付きの童子に支えられ、まだ橋の手前だが、慧遠ともう一人(陸修静とする説がある)が橋を渡りおえて大笑いしている。三人の表情やらポーズやら、筆が冴えわたって実にうまい。

▲《虎渓三笑図》(全体) 右から三面目に三人目がいる 長沢蘆雪筆 草堂寺蔵 重要文化財

 それに俗世間を離れた賢者たちのエピソードなので恐縮だが、慧遠ともう一人が肩を組んで歩く様は、見ようによっては気の合う三人で一杯やって、新橋駅やら北新地駅など、最寄りの駅までお見送りという感じもしないではない。
 私ならば、友だちが家に来て話をしていたら、知らぬ間に戎橋を渡って道頓堀界隈でBeerを飲んでいたという話になるだろう。

 こうした庶民的な人物の描写などが、南紀のおおらかな人々の拍手喝采を浴び、肩肘張った京の都にはない開放感のなかで、蘆雪も絶好調となって、なかば陶酔しながら絵筆を揮っただろう。一仕事を終えた後の魚も美味かったに違いない。

 面白いのはそれだけではない。「虎渓三笑」では遠くから虎の鳴く声がして、はっとして誓いを破ったことに気づくわけだが、草堂寺の襖絵には、引き手金具の下、橋の上に一匹の猫が描かれている。この絵のなかの慧遠は、虎ではなく猫の声で誓いを破ったことに気づき、三人は笑ったことになる。蘆雪ならではの演出だろう。まるまった猫の姿も雰囲気があって、実にうまい。



 真面目な〈環境絵画〉としての襖絵ではなく、カプリッチョ(capriccio)とでも言いたくなる当意即妙の諧謔と即興性を発揮した、個性的な襖絵なのである。

 これが個人的な私邸に描かれた襖であれば、日常生活に埋没するなかで見飽きたりもするだろうが、寺院の本堂というパブリックな空間に描かれていることで、地域の人々の連帯意識などを高める役割も果たしただろう。

 真摯な会合の席上、はじめて「猫渓」の「三笑」と気づき、吹き出した人はいなかっただろうか。近くの子供たちは、三人の賢者よりもニャンコを見に集まったのではないか。串本応挙芦雪館として公開されている無量寺の虎の絵(写真下)なども、どこか巨大な猫の印象があり、紀州における蘆雪は、猫というモチーフにはまっている。そういえば、和歌山電鐵の貴志駅にも、たま駅長がいた。



▲無量寺本堂室中之間襖絵《虎図》 長沢蘆雪筆

 ところで私事で恐縮だが、この展覧会は、私の研究室から同館学芸員に就職したHさんが、初めて本格的企画展を担当したものである。うまく企画・展示できたのか気にしながら、和歌山市駅行きの南海電鉄・特急サザンに揺られて見に行ったが、同館先輩諸氏やご所蔵者のご指導よろしきを得て、心配はいらぬお節介の杞憂であった。

 ほっとひと安心したところで、いつもどおり気ぜわしく歳月が経ち、年末年始、一年があらたまる季節になったことに気づく。安心ついでに正月休みなど、蘆雪ゆかりの南紀の温泉めぐりでもして骨休みをしたいところである。
 頭の中が温泉旅館で一杯になったところで、話はふたたび襖絵に戻る。襖絵の重要な機能の一つが、それぞれの部屋に名称をつけることである。

「山水の間」「花鳥の間」「琴棋書画の間」「松の間」「鶴の間」等々がそれで、つまらない話とお思いかも知れないが、たくさんの部屋が連なっていた昔の御殿を考えれば、部屋を飾る襖絵の図柄で名前をつけるのが、行事を行い、人を差配するときに間違いがなかった。「忠臣蔵」で浅野内匠頭が吉良上野介に刃傷におよんだ松の廊下も、松の障壁画が描かれていて、そう呼ばれたのである。

 今の旅館の部屋は、どこも同じような内装であり、襖の図柄が異なっているということはないが、各室に違う名をつけておいたほうが分かりやすいのは同じである。102号室とか103号室とか言われても、同じ型の扉が並んでいるだけで混乱してしまう。

 それならば、自分の家の各室にも古式ゆかしき名前を付けてみようかと思うわけである。「寝室」「子供部屋」「キッチン」「客間」などという名称は、機能的だが無粋ではなかろうか。「洗濯機の間」「バーベキューの間」「猫の間」とか色々つけてみるのはどうだろう。「よろしお間」「そうでお間」は大阪の古きお笑い風だし、姿見があるので「鏡の間」とつけたら、賃貸でも拙宅がヴェルサイユ宮殿に早変わりする。

 余談ながら、前回は国立西洋美術館の「世界文化遺産」登録からはじまったが、和歌山も平成16年(2004)に、熊野古道をはじめ吉野、大峰山、高野山など、紀伊山地の霊場と参詣道が世界遺産に登録されているし、「虎渓三笑」の廬山も、自然公園としてユネスコの世界遺産になっている。

 襖絵をめぐるイメージの旅から三つの世界遺産を巡ったが、世界遺産の名前を冠した「□○の間」が連なった広壮な書院建築がパリのユネスコ本部に建っている初夢を見たらどうしよう、という妄想も浮かびはじめたところへ、どこか遠くから、にゃーおう、オゥオゥオゥォ……



▲ここが私にとっての「虎渓」か。中央に架かるのが戎橋。夜になると付近はたくさんのトラがうようよしている……という私自身がトラかも

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橋爪節也
大阪大学総合学術博物館教授・前館長

1958年大阪市生まれ。東京藝術大学助手を経て大阪市立近代美術館建設準備室主任学芸員、現在は大阪大学総合学術博物館教授・前館長。近世近代の美術史を研究し、編著書に『大大阪イメージ─増殖するマンモス/モダン都市の幻像─』(創元社)など。今春、八尾市立八尾図書館に開設された「今東光資料館」の基本構想を座長としてまとめた。

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