住ムフムラボ住ムフムラボ

三島邦弘

三島邦弘/ミシマ社代表 編集者

今をときめく出版社「ミシマ社」のオフィスは会社というより家である。 なぜ「家」なのか? 家だと何が違うのか? へっぽこ代表兼編集者のコラム。

最終回 コロナ渦の出版社——続・パルプ・ノンフィクション(後編)

 −−拙著『パルプ・ノンフィクション』(河出書房新社)のサブタイトルは、「出版社つぶれるかもしれない日記」となっている。今、まさに、会社はその渦中にあるといっていい。三ヶ月後、本コーナーで「コロナ渦の出版社」を書くときは笑顔でいたい。−−

 前回の最後にこう書いた。5月の初旬であっただろうか。今、これを書いているのは10月の初めなのだが、あれがいつだったか記憶が定かではない。怒涛というほかない5カ月であった。

 三ヶ月後、笑顔でいたい。と記しているが、その三ヶ月後にあたる8月は、まだ渦中にいた。笑顔でいた、と言える自信はない。
 では、今はどうか? と問われれば、まあ、なんとか舵を切ることができました、と答えることになりそうだ。

 −−コロナによって起こったことの大半は、悲しいことでしかない。ただ、そのなかで隠されがちだった問題が衆目の集めるところとなった。それだけはせめてもの救いであると思っている。−−
 前回、業界全体の抱える問題(書店と出版社の利益構造など)が浮き彫りになったことを指摘した。おそらくそうした隠されがちな問題は業界のみならず、日本社会全体にも言えるし、個人においても言える。自社もまた例外ではない。

 振り返って思うに、なんとか回っているときは、問題を抱えたままでも動かせる体力や勢いがある。結果、問題が隠れてしまいがちになる。身体に病を宿していても、特に大きな支障なく動けているために気づかない。あるいは、指摘されたとしても、すぐには認めない。どころか、こんなに動けているのに、何言っているんだ、とはねつける。健診で生活改善指導を受けた人の多くが、翌日から劇的に日常を改善させることなどないように。

 悲しいかな、生活を根本から改善できるのは、身をもって痛みを伴うサインを感知したときなのだろう。それまでに手を打っているにこしたことはないのだが。そして、その痛みの度合いが、手遅れのときもあれば、ぎりぎり回復可能なタイミングなときもある。

 幸い、自社のばあい、後者であった。
 間違いなく言えるのは、この半年間の改善、変化は、なにもコロナが原因のことではまったくないということだ。その前から対応していないといけなかったことばかりであった。

 人数が増えたにもかかわらず、少人数体制のまま。5、6人のときの運営スタイル(この連載タイトルに即して言えば、核家族的スタイル)で、個々人が好き勝手に動いていてもなんとかなる。自由。の反面、いい加減になりがち。たとえば、会社として取り組む案件を相談もせず個人の判断で断る。こうした事例は枚挙に暇がない。それでも、5、6人の人数であれば、最終責任者である自分がシンガリの役目を果たすかぎり、大きな問題にならずに済んだ。このあたりは、拙著『計画と無計画のあいだ』に詳しい。核家族的スタイルの会社が、家父長制にならず、どう運営するかを書いたものであった(と、今初めて思った)。

 けれど、同じスタイルを10人超の組織に適用できるだろうか? 答えは、否。実感をこめて、無理です、と断言したい。そりゃそうだ。

「よし、これから1週間、プロジェクト1を徹底的にやりましょう!」
「はーい」
 1週間後。
「あれ? というか、あれ? 全然、プロジェクト1終わってないんだけど」
「うーん、プロジェクト1とかよりQかな、と思ってそっちしてました」
「えっ? どうして? 話し合ってそうなったの?」
「いえ、私の方で判断しました」
(おいおい、待ってくれよ。しかもQって。今回の目標、プロジェクト1の延長上にもない、全く別種の仕事じゃないか)
「B君の方はどう?」
「Kさんと手分けしないと完成しないプロジェクトなので」
「なので……?」
「やめました」
(えっ? ええええええ!)

 社全体で取り組まないと動かない仕事を無断で放置。相談も報告もなしに。そして、それにともない別のメンバーがまったく違う動きをする。それもまた報告なしに。まさに負の連鎖。……こうしたことが日常で頻発していた。繰り返していうが、頻発していたのだ。

 何もメンバーを責めたくて、書いているわけではない。全員がひとつのプロジェクトをひとしく理解することなんてありえない。また、個々の動きも、時期によって浮き沈みがある。それが当たり前。なので、誰かができなかったこと自体はさして大きな問題ではない。
 問題は、ひとつの機能不全が全体へ蔓延してしまう、組織の構造や体系にあった。

 なにより、この事例には、問題の核心、つまり、この時期に欠けていた要素が全て詰まっている。それは何かといえば、大きく次の三つがあげられるだろう。
 人数に応じた組織体系。人間の数にあうだけの事業。そして、昔のままやっていたらいい、あるいは昔のままやりたい、という「居ついた」意識が流れ出すこと。これら三つがすっぽり欠如していた。

 上記の通り、人数が10人を超えてなお、「一点突破」ばかりを狙っていた。人数が少ないとき、かなりの確率でそれがうまくいった。
 一人が動けなくても、誰かがカバーに入ればいいだけだから。動ける人が一人や二人分、フォローすることだって可能だ。しかし、13~14人になると話は別。もとより全員が同じ仕事に取り組み、かつ見事に機能させるなんてことは不可能だろう。かつ、仮にそれをめざしたばあい、単車線で車を走られるとの同じく、ひとつの事故が全線ストップの大渋滞を起こす。

 その意味で、事業の多様化、複数組織へのメンバーの振り分けは必須であった。
 1メートルのコン棒を振り回すのは慣れれば不可能ではないだろうが、5メートルのコン棒を振り回すのは極めて困難。その「困難」を社全体で取ろうとしていたようなものだ。

 5メートルのコン棒使い。
 しかし、昨年のある時期、それが不可能であることにようやく思い至る。必要なのは、ちがったのだ。
 3連ヌンチャク。
 1メートルのコン棒が鎖で3本つながった、あれ。欲しいのは、あれだった。

 5メートル級の破壊力を持つ一方で、3本を束にして太い1本になることもある。2本を束に持ち、残りの1本を飛び道具として使うこともできる。必然、振り子の原理で威力は激増する。それでいて、3本がつながっている。バラバラに動くことはできない。
 また、1本が他の2本と「比べて」いい動きをすることをめざす、なんてことも無意味。まして、対立して動くことは自分の動きを封じることにもなる。社内での相対評価、競争といった発想自体が無実となるわけだ。

 そんな、新しい組織を求めて動き出したところであった(前著『パルプ・ノンフィクション』にはそこまで書いた)。
 だが、組織づくりだけでは全く不十分だった。決定的に欠けていたのは、事業。それまで事業といえばこれだけだった。紙の出版物を出して売る。それ以外の事業を持てずにいたこと。

 そして何より、私じしんの意識が、少人数体制のままでしかなかったこと。具体的には、編集者としていい本を出しつづけさえすれば、会社は持つ。経営のことは知らなくともなんとかなる。そう思い込み、決めつけ、経営者としての仕事を放棄していた。なんたることだ……。
 問題はまったくメンバー個々の動きにはなかった。


 コロナによってそうした事実を突きつけられた。その過程をコロナ禍の4月からざっと振り返ることで、見てみたい。

 4月。書店の多くが休業。それは、出版社である私たちにとっては納品先を失うことに直結した。そして当然のことながら、売上減を招く。前年同月比で見たとき、おそろしい数字がそこにはあった。
 月末。現金がまったく追いつかない状態になっていた。これは当月の売りとは関係がない。昨年末、今年の1~3月の結果である。つまり、昨年末から(消費増税以来!)ずっと業績がよくなかった。

 その状況で見舞われたコロナ禍だったのだ。給付金、補助金、銀行融資、こうしたものに飛びつくのはもっともな行動といえる。だが、私は月末の時点、現金がほんとうに足らないという現実を直視するその瞬間まで、いっさい頼らないでいこうとしていた。

 5月。先月末から初旬にかけて、補助金や融資制度などの情報を調べて、申請する。必然、過去数年の決算書などを見直すこととなった。情けない話だが、過去十数年、決算書をちゃんと見ることすらしていなかった。今回、自分で申請書を作成する過程で初めてちゃんと確認した。
 結果、自社の状態を数字面で知ることになる。肌感覚でつかんでいたものとぴったり合うもの、近いもの。そして、肌感覚でつかむには組織が大きくなりすぎていたという現実。いずれも、好き嫌いで取捨選択してはいけない類のとてもたいせつな情報にほかならない。

 希望は、MSLive! というオンライン講座・イベントをたちあげたことだ。長年主催してきた森田真生さんとのライブ「数学ブックトーク」のオンライン化。それにとどまらず、お付き合いのある著者の方々とともに、これまでおこなっていなかった講座や講義をオンラインで開催することにしたのだ。木村俊介さんの「取材入門」(現在、「インタビュー」に改題)はこの月から今に至るまで、ほぼ毎週おこなっている。ほかに、6月には土井善晴・中島岳志両先生による対談「一汁一菜と利他」となったイベントなどを主催。5月、6月だけで15を超えるオンライン・ライブを開いた。

 6月。書店がじょじょに再開。しかし、一度止まった川の流れがすぐには元に戻らないように、自社の本たちが書店という川へスムーズには流れていかない。水量としては以前の7~8割くらいか。
 7月。自社における書店営業の動きに大きな違いは見られない。
一方、MSLive!はたちあげて2ヶ月目の先月と、3ヶ月目のこの月には、目標を上回る結果を出せた。裏を返せば、MSLive!の事業がなかったとしたら、どうなっていたことか。想像するだにぞっとする。

 前回記した通り、4月の中旬まではオンライン事業などゼロだった。それどころか、忌避していたキライさえある。それが、いっきに事業化へと展開した。こうして、紙の本しか事業と呼べるものがなかった自社において、ようやくもう一つの柱ができた。

 わずか1カ月でそれが可能だったのは、20代後半から30歳になろうかとする中堅メンバーの活躍によるところが大きい。彼ら・彼女らの迷いのない動きの積み重ねで、もっとも苦しい時期に、念願だった新規事業がたちあがり、いきなり軌道にまで乗せることができた。

 8月。そのMSLive! で「こどもとおとなのサマースクール」を開催。これまで児童書は、絵本が5冊、読み物が1冊(『銀河鉄道の星』、後藤正文編、宮沢賢治・著、牡丹靖佳・絵)、そしてこの6月にtupera tuperaさんの『パパパネル』を出しただけで、子ども向けの出版活動は弱いと言わざるをえなかった。

 ただ、雑誌「ちゃぶ台Vol.3」で周防大島でのサマースクール・レポートを掲載するなどはしており、いつか自社でもサマースクールを実践したい思いはあった。とはいえ、年始の時点では予定はゼロ。それが、急に「しよう!」となった。MSLive! という「場」ができていたおかげだ。
 ひとことだけ感想を述べておくと、全国の子どもたちと、工作、昆虫、作文、建築、発声、といった「実践」を通じてつながることができ、それはそれは感動的な時間となった。自分たちが主催する「学び」という場が確実に広がったのを実感した。

 9月。7月末をもって、ミシマ社最古参であるワタナベが退社。といっても、今年の1月につくった子会社への移籍。書店と出版社の新たな関係づくりを掲げて始めたサービス「一冊!取引所」の運営・営業に専念するためだ。実際のところ、今年に入ってからは退社までのあいだ、それをメインにやってもらっていた。ただ、同じ仕事をするにせよ、オフィスに来ておこなうのと、そうでないのとでは違う。本人はもとより、残ったメンバーにとってもそうであろう。十数年いた人がそこにいない。その状況が現実に訪れたとき、どうしても歪(ひず)みが生じる。生じた歪みは埋めなければいけない。そうしないことには、組織が機能不全を起こしてしまう。

 自社のばあい、その歪みをただす作業が組織をつくることにほかならなかった。つまり、あの三連ヌンチャク的組織の構築である。それが、歪みが出たことで、その歪みを解消する過程のなかで無理なくできあがった。

 もちろん、すべて自然発生した、なんてことはない。MSLive! という新たな事業がたちあがっていた。その事実が先行しての組織の生成にほかならない。形から入ったわけではなく、既存の組織体系には収まらない、はみだした動きを生かすかたちに組織を再設計した。ワタナベ退社から3週間後の8月後半には、新組織が稼働し始めていた。
 そうした流れに乗るかたちで、9月19日発売の内田樹先生『日本習合論』を迎えることになった。
 
 このように、4月の危機から約半年。私自身の経営者としての反省と自覚に始まり、新規事業のたちあげ、それに伴う適正な組織体系の発生とつづいた。先に上げた三つの課題、「人数に応じた組織体系。人間の数にあうだけの事業数。そして、昔のままやっていたらいい、あるいは昔のままやりたい、という「居ついた」意識が流れ出すこと」、これらすべてが解消された。


 冒頭で、舵を切れたようにおもう、と書いたのは、こうした日々を経ての実感である。あとは舵を切ったその道をしっかり進むこと。これに尽きる。
 ひと息つくことなく、今、こうした気持ちで歩んでいるのだが、私たちが舵を切っている最中、社外ではのっぴきならぬ事態が進行していた。

 その一つは、安倍政権後に誕生した菅政権のやり口だ。日本学術会議の人事に介入したのみならず、どうやら国内企業の99.7% を占める中小企業を減らし、大企業に統合・再編されるよう中小企業基本法を見直すつもりらしい。これから生存していくために、大型化をめざす。つまりは、多数多種の小型、中型生物から少数小種の大型恐竜へ。人口がどんどん減っていくというのに。

 このニュースを見た瞬間、時代錯誤なことをやめてくれ。と正直、思った。
 たしかに、人口減少期において、統合・再編するほうが一見、効率的に思える。伸びる産業に限りある人的リソースを当てる以外に生産性も上がらないのだから、と。実際、日本経済の特徴として、「類を見ない人口減少率」「著しく低い生産性」に加えて、「進まない企業の統合・再編」が指摘されている(デービッド・アトキンソン『日本人の勝算 人口減少×高齢化×資本主義』など)。そうした指摘を受けての中小企業基本法の見直しなのだろう。

 けれど、その効率化の選択はかえって命取りになりかねないと思う。というのは、日本の生産性の低迷は、統合・再編できないことにあるのではなく、そもそも人間が大組織で働くのに向いていないという特性があるからではなかろうか。

 イエスマンになりやすく、個を殺して右に倣え。ややもすれば、すぐにこうなってしまう人たちが大企業にいて、イノベーションを起こせるだろうか。本当に必要な情報(言いにくい情報を含めて)をスムーズに流せるだろうか。それができないのに、大企業に人的リソースを集中したら、どうなるか。

 これは私の直感だが、そもそも、企業数の99.7% が中小企業である実態を変えることより、それに比して、大企業が占める経済規模(50%超)が大きすぎやしないか。大企業に組み入れるのではなく、中小企業の活性化をこそめざしてほしい。人口減はもう戻らないところまで来てしまっているのだ。それを前提のうえで、日本の風土にあった、ひとりひとりの力がより発揮しやすく、小回りの効くあり方を見つけ、広げていくほうがいい。

 もう一つ加えれば、コロナ禍でわかったことの一つに、たとえばイタリアでは、効率化・合理化を進めていない地域のほうが医療崩壊が起きなかった(松嶋健「イタリアにおける医療崩壊と精神保健――コロナ危機が明らかにしたもの」『現代思想2020年8月号』)。このように、統合・再編という発想そのものがすでに時代遅れになっていると言える(このあたりのことは11月刊予定の雑誌「ちゃぶ台6」でも特集している)。

 ちいさいからこそ生きていける。ちいさいから、周りとも共存できる。
「ちいさい」をどう増やし、それをどうもっともっと生かしていけるか。こう発想するほうが、この島国全体を生かすことになるだろう。

 そうなるためには、「ちいさい」で生産性も上がった、という事実がなければいけない。現実がそうあらねばならい。でないと、結局は既存の流れを止めることはできないだろう。風土に合うとかどうとか言ってる場合じゃないんだよ、生産性が上がるかどうか、それだけ。と一蹴されかねない。

 ようやく切った舵をこのまま進め、こっちのほうが、状況の変化に対応しやすいばかりか、生産性も上がる。
 このように現実を変えることだけだ。
 心強いのは、私たちのように、全国には間違いなく、同じような、いやもっともっと柔軟かつ面白いやり方ですでに現実を変えている人たちがいるにちがいないことだ。それだけは確かだと断言できる。

 根拠は?
 と問われれば……ない。だけど、こういう時、必ず同時多発的に起きている。それが確かだと言えるのは、東日本大震災以降の動きを見ればわかるはずだ。本連載にも書いてきた自分たちの経験からも実感していることである。

 だから、こう言いたい。
 きっと、早晩、全国のそうした人たちと会うことになるだろう。そのときを楽しみにして、今日はここで筆をおきたい。

 *この連載をお読みくださった皆さま、長い間ありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。

コラムニストから選ぶ

PAGETOPへ