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三島邦弘

三島邦弘/ミシマ社代表 編集者

今をときめく出版社「ミシマ社」のオフィスは会社というより家である。 なぜ「家」なのか? 家だと何が違うのか? へっぽこ代表兼編集者のコラム。

第28回 かくというやまい

 年末年始、それは猛然とミシマに襲いかかった。
「か、かゆい」
 書きものをしてはつぶやき、新年のお酒を親戚と交わしては身悶えした。

 あまりの痒さに、誰もいないトイレのなかで、「かい〜〜の〜」と言ってみたこともある。むろん、寛平師匠の声色で。いっそ、笑いに変えようと精一杯のがんばりであった。が、そのたび、痒みは消えるどころか、なぜだか増した。子どもたちとの遊びの最中に言ったこともある。最初は相手してくれた子たちだが、やがて「また言ってるわ」と鼻で笑い、しまいになんの反応も示さなくなった。ふんだり蹴ったりである。

 そうして、さらなる痒みがミシマを襲った。気づけば、顔、足、腕、胸、背中、首、全身を掻いている。
「あああ!」と叫びたくなるのをなんとか抑え、ミシマははっと気づいた。
(こりゃ、アトピーじゃないかしらん)
 これまでの人生で、アトピーと言われた記憶はない。四十を半ばにして、アトピー発症? そんなことあるのか?

 とにもかくにも皮膚科へ駆け込んだ。
 「ストレスじゃないですか?」
 と医者は言う。なるほど。この状況をストレスなしで過ごしているとは、自分でも思わない。そこまで楽天的な人間ではないつもりだ。
 事実、「超弩級」の業務を抱えている。それが、すくなくとも半年前からつづいている。しかも、その「超弩級」がひとつではない。まったく別種の3つの大きな業務を同時並行でおこなう事態に陥っている。

 ひとつは、会社運営。
 いちおうは会社の代表である。経営者という立場である。しかも、昨年から自社最大規模となる14名ものメンバーを抱えている。楽であるはずがない。

 もうひとつは、執筆だ。ミシマは5年半ぶりとなる単著を、この3月に河出書房新社から出す予定でいる。タイトルは『パルプ・ノンフィクション』。また大きく出たものだ。そのタイトルの理由は本書を読んでいただけると嬉しいが、タイトルの大きさだけで大いなるプレッシャー、ストレスとなっていたのは間違いない。

 最後に挙げるのは、システム開発である。
 システム? あなたの仕事は本をつくることじゃないの?
 そうだ、その通りである。
 編集者であり、出版社の代表である人間が、システム開発をおこなう。いま、まさにおこなっている。
 今回は、その理由と中身をすこしだけお話ししたい。


 もともとは、自分たちのための開発にすぎなかった。
 書店と直取引をする出版社であるために、日々の伝票作成や月々の請求書作成を自社でおこなわなければいけない。その数は膨大である。なにせ、数百件の伝票を個別に作成するのだ。実際、請求業務は、月末月初にひとりがその仕事に張り付いておこなっても、1週間から10日を要する。ザ・ヒューマンパワー。特に自社のばあい、特殊芸のような複雑さを抱え込んでしまっていた。

 こうした一切を、現代にアップデートする。
 つまり、いま流行りのAIを使って自動計算してもらう。人間は管理だけ。そのレベルのものをつくりたい。
 これはミシマにとって干支一周分の悲願だった。

 直取引を始めた2007年6月以来、長年、上記の営業事務は最初のメンバーであるワタナベが担当した。彼がどうにかこうにか、最初の本の発刊に間に合わせて、仕組みをつくった。そうして、13年間、大きな改善なく回してきた。

 問題なく――。ではない。大いに問題あり、のままに。先に述べたように不必要と思われる複雑さを内蔵したままに。そこにメスを入れる時間とエネルギーとモチベーションとお金の余裕がないことを言い訳に、ここまできてしまったのだ。

 ミシマは編集者である。
 自分が思いをこめた本を一人でも多くの人たちへ届けたい。編集者とは、そう思う生き物である。
 同時に、会社の経営者になった。一冊でも多くの人たちに届かないことには、会社は成り立たない。その不安に常に襲われる、辞める瞬間までその不安から解放されることはない、つくづく不幸な生き物である。

 必然、外で営業しないで営業事務にはりついていられると、苛立つ。いや、苛立つなんてものではなかった。憤っていた。
「社内にばっかりいないで、営業に出てくださいよ!」
 つまり、苛立ちや憤りの矛先は、「人」へ向けられた。

 しかし、問題は人ではなかった。そのことにようやく近年気づいた。
 もとをただせば、システムが古いから。あまりに手間暇のかかる、面倒きわまりないシステムが原因だったのだ。
 それを一新したい。
 まさに12年を超える悲願である。

 システム会社の人たちと話しているうちに、話が膨らんできた。
 相談した相手は、ずっと自社のホームページを手がけてくれているMさん。ちなみに、彼は、ミシマが創業した自由が丘のワンルーム時代、オフィスをシェアした間柄だ。

 M氏は、何度目かの打ち合わせたあとぼそりと言った。
 「これ、業界全体の問題じゃないですか?」
 彼のひとことで目が覚めた。
 そうだ、そうなのだ。
 思い出す。ミシマが出版業界に入った1999年には、出版不況と世間では言われ出していた。その中身は、大雑把に「本が売れなくなった」だが、もうすこし具体的にいえば、「売上が伸びないなかで出版点数だけが増加」し、「返品率は40%前後に上る」などが挙げられる。
 結果、本屋さんが苦しむことになった。

 一点あたりの売れ数が減りつづけるなか、出版社はどんどん新刊を出す。その数1.5倍とも2倍とも言われる。年間7〜8万点出る新刊を右から左へと置いては返品。その作業に忙殺され、書店員の多くは「本を読む時間がなくなった」と声をそろえて嘆く。
 いったい、ミシマが創業して以降にかぎっても、こうした声をどれほど聞いたことか。

 未来へ向かって、書店との共存のあり方を考えていきたい。
 創業7、8年経った頃から、その思いが強くなり、2015年には書店買切、卸率60%のシリーズ「コーヒーと一冊」を創刊。昨年は、さらにその条件を推し進めて、「ちいさいミシマ社」というレーベルをたちあげた。このレーベルでは、書店に対し、買切55%で卸している。買切によって返品率問題を解消。かつ、「薄利多売」から、ポスト大量生産大量消費時代の「適利適売」モデルへ。その切り替えをめざした条件を採用した。

 要は、出版不況といわれるものから抜け出るためには、出版社-書店間の条件面の改善が欠かせない。そこに手をつけないで、嘆息しようが、業界批判をくりかえそうが、同じこと。業界に十年以上、身をおくなかで、そう痛感したのだ。
 しかし。
 これだけではまったく十分でなかった。まったく!
 改善すべきは、条件だけではなかったのだ。
 街の本屋を苦しめている一因に、システムの遅れがあった。
 灯台下暗し。なんとも盲点であった。
 
 というのは、自分たちも「ミシマ社の本屋さん」という書店を、最近は月一回のペースながら開店している。かれこれ開業満8年を数える。その中で、システムの遅れに自らが苦しんでいたのだった。

 たとえ、月一回とはいえ、出版社へちゃんと注文をし、仕入れをして、書店業をおこなう。当たり前のように聞こえるかもしれないが、このやり方はけっこう珍しい。多くは、取次という卸会社を通して、発注をおこない、仕入れている。

 ミシマ社のばあい、普段から、出版社として書店と「直取引」をしている。同様に、書店としても取次を使わず、出版社から直接、本を仕入れることにした。そのため、もとより、新刊がどっと押し寄せ、返品作業に追われるなどの心配はない。

 だが、違う手間がかかる。出版社として営業事務の作業が膨大なように、本屋さんとして出版社直仕入れをおこなう際、一社一社のホームページを訪れ、一冊一冊吟味しつつ、注文書をつくる。仕入先の出版社が100社あれば、100のホームページを訪れなければいけない。そして、ページを行きつ戻りつ注文書をつくり、これを一社一社に送るのだ。正直、気の遠くなる作業といえる。
 この、気の遠くなる作業を、たんたんとこなすしかない。

 と諦めるわけでもなく、ただ、そういうものだろうと思いこみ、毎月、同じ作業をくりかえした。
 だが、システムにしてしまえばよかったのだ。
 と思えるまで、7年近くの歳月が流れて去っていた。
 ……んもう。

 で、現在、書店にとっても、出版社にとっても、革命レベルで(!)作業量が削減されるシステムを開発中だ。作業量が減るだけでない。自分たちが日々の直取引で大切にしている「一冊入魂」を、ネット上でできるようにしたい。

 は? と思われるかもしれないが、まあ、こういうふうに解釈していただけると幸いである。取引をするのが、「おもしろい!」「気持ちいい!」。そんな場(サイト)にしたいと思っている。
 各社のとっておきの一冊、あふれる思いが詰まった一冊が気持ちよく届きますように。
 こうした願いをこめて、サービスを「一冊!取引所」と名づけた。
 いま、4月スタートをめざして、エンジニアの人たちと打ち合わせを重ね、開発を進めている。


 ここまで読んで、おや? と思われた方がいるのではなかろうか。
 たしかに出版業界のシステムまわりは遅れている。それを一新する必要はあるだろう。きっと、それによって、中小の出版社や街の本屋さんを中心に、ずいぶんと救われる会社もあるかもしれない。

 だが、だぞ。
 いや、なにも、あんたが背負う必要ないんじゃない?
 ……反論の余地なし。その通りである。
 システム会社が開発したシステムを利用すればいいだけのことだ。
 たしかに、そうなのだが、「そう」はいかない事情がある。
 なんとなれば、出版まわりのシステムといって思いつくものを想像してもらいたい。

 どうだろうか。
 GAFA(ガーファ=グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)といわれる巨大ネット企業が世界経済を席巻しているが、出版界とて無関係ではない。ここでは詳しく述べないが、じわりじわりと、巨大企業に自分たちの領域を侵されつつある。出版社も、書店も、取次も。

 そう、それぞれの職種に応じて、それぞれが死守しなければいけない領域というものがある。会社の生命線と言える領域だ。
 自分たちでいえば、本づくりの領域がそれである。
 書店でいえば、本を知るということが、そのひとつだろう。
 ここだけは、絶対に効率化できない。単純化できない。

 裏を返せば、その一点を死守するために、それ以外の仕事は、自前で効率化しておかないといけない。そうしないと、大資本のシステムにどっぷり頼るはめになりかねない。結果、気づけば絶対領域までも効率化を強いられることに……。

 なぜなら、結局、大資本は儲かるか儲からないか、で動く。だが、出版の営業まわりのシステムなぞ、しょせんたいしたお金になることはない。投資したところで、儲からない。そのとき、必ず、「儲かる」ほうにまで手を出してくる。あるいは、完全に撤退する。出版社や書店が、すこしでもそのシステムに依存するかたちで舵を切っていたとしても、お構いなく。 

 いくらなんでも思いすごしだよ。
 と反駁されようか。だが、これだけは頑として言いたい。
 まちがいなく、こうなる。
 いま、手を打っておかなければ、それが遅れれば遅れるほど、たいへんなことになる、と。

 それで、システム会社をMさんと一緒に立ち上げることにした。自分たちに真に必要なシステムは、自前でやるしかない。そう腹をくくって、新会社をつくって挑むことにしたのだ。
 どんなことがあっても、未来に出版のしごとをパスするために、やりぬきたい。

 冒頭で、超弩級の業務と述べた意味をわかっていただけただろうか。
 そりゃ、肌も荒れるわい。借金背負って、新会社までスタートするのだから。しかも、まったく未知なる職種の分野で。
 とミシマは我ながら思う。

 だけど、ちょっと違うかも、とも思ってしまう。
 超弩級の二つ目に挙げた自著の執筆が数週間前にひと段落した。
 すると、驚くほど肌荒れが治ったのだ。
 まるで、執筆だけが原因であったかのように……。
 ミシマは、自分の肌を見て、しみじみと考えざるをえない。
 書くことはすなわち掻くことであったのか、と。

 願わくば、その本を買ってやってほしい。『パルプ・ノンフィクション』。タイトルの大きさに押し潰されそうになったミシマの肌が、「売れませんでした」の報によって再び、大荒れしないためにも。
 掻くのは書くときだけで十分。
 そういえば、この文章を書くにあたって、久しぶりにいっぱい掻いてしまっていた……。ああ。

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