第9回 酒を旨くする「業務用のグラス」について。
もう20年以上も前、ワインがブームになったあたりから、それまで数種類ぐらいバカラ系の高級カットグラスなどを置いていただけのデパートの食器売場などに、リーデルとかレストラン仕様のものが並びだした。
確かに欲しいが、結構高いな。そうなると「もっと安いので良いのがある」と、パリに行ったときに[a.simon]とかでワイングラスそれも口のすぼんだテェイスティング用のグラスやらシャンパン用の細長いグラス、ついでにラギオールのソムリエナイフを買って帰った。
まだ本格的なネットの時代ではなくて、仏系女性誌のフィガロやマリ・クレール、旅行誌ガリバー(懐かしいな)を買ってキープしていたパリ特集やガイドをそれこそ必死に見ていろんな店に行った。
90年代初め、まだフランスではフランが通貨だった時代だ。やってることがひと昔前バカにしていたルイ・ヴィトンの時代とその本質が何ら変わってなくて、なんとも恥ずかしい。
皿や鉢と同じように、ワイングラスやウイスキータンブラー、ビアグラスなどガラス器には興味ある方だが、ロイヤルコペンハーゲンやらマイセンやらリチャード・ジノリやらのコーヒーカップは買う趣味がない。
1客1万5千円もするカップを買うんやったら、それで鮨やらフレンチ食いに行くわなぁ、である。
普段一番使っている塩鮭やら肉じゃがやらをのせる和皿やまぐろ丼に使う丼鉢に1万円出したら、ごっついええもん買えるのに、とも思ったりする。
ただチキンラーメンを食べる鉢や、神戸の[赤萬]買って帰ってきた一人前300円ぐらいの餃子にそんな器は似合わない、というかきっとおいしくない。例えは悪いが、スウェットやジャージの上にタキシードやバーバリーのトレンチコートを着るみたいなもんだ。
階層化が進んでいる日本だが、ヨーロッパの階層社会上位の人が使用する、ロイコペのコーヒーカップやクリストフルの銀製カトラリーを使うのにふさわしい食シーンや食文化は、わが家では少ないのだ。
飲食店に行くとカウンター席が好きで、中華料理屋とか洋食屋ではコックが料理をつくっているさまや使う道具に目が行く。
デカい中華鍋用のお玉で、醤油や調味料をぱぱぱっとやったり、強力な火力の中、鍋をカチャカチャンとやるところや、ハンバーグを両手で渡しつつパタパタいわせるシーンを見せられると、「たまらんな」と思う。
家で真似してやろうと、派手に中華鍋を振ってガスコンロのゴトクをはずしてしまったり、チャーハンを派手にこぼしてしまったり。
鮨屋で鯛の捌きかたを見て覚えて帰って、家で再現しようとして鯛1匹買って帰るのはええが、そもそも出刃包丁の使い方かダメなので、身をワヤにしてしまうわ、キッチンを鱗や内臓で汚してしまうわ。
「もう次は止めておこう」といつも思っている。
要するに「プロっぽいこと」をしたいのである。
そうなれば道具や食器も「それっぽく」となってしまう。これはわたしの場合は、流行的にオシャレとかゴージャスとかとは対極にある。もっというと「カワイイ感」「ファンシー感」を極力排していくストイシズムだ。
庖丁は一昨年『有次と庖丁』(新潮社)を上梓しているので知りつくしていて、出刃も刺身庖丁もペティナイフ3点セットにもちろん砥石も持っている。切った肉や野菜を入れたりパン粉をつけたりするアルミのバットは大から小まで同型で4種類ぐらいあるし、細かいところでは自家製の梅酒用のカンロ杓子もある。あとは腕だけだ。
というのは言うが易いだけで、要はカッコだけなのである。
とくにこだわっているのは、タンブラーやロックグラス類、あるいは日本酒の徳利や猪口である。といっても[a.simon]で買ったものはいつしか割れたりで「消耗品」となってしまった。
180ccだか普通のガラスコップを「いいな」と思う方である。
最高なのは駅前の食堂や普通の焼鳥屋や立ち呑み屋で見かける、青い字で「MITSUYA CIDER」そしてその裏は「ASAHI BEER」と書いてある例のシロモノ。「業務用」というやつである。
これはその昔、酒屋の友人に欲しいと言ってたくさんもらい、毎日居酒屋気分でビールを飲んだり、洗いやすいなと思ってるうちに、これも知らん間に消耗してしまった。
ただ、その手のガラスコップや酒器、食器棚を見ていると、あるわあるわである。
入手はサントリーの「白州」専用グラスプレゼント・キャンペーンみたいなものが多く、量販店で見かけて買ったり、応募して当たったものなど(菊正宗の湯燗セットなど)。
中でも一番白眉だと思っているのは、昭和30年代創業の英スコッチの「デュワーズ」の宣伝店[デワーハウス]が閉店したときにもらってきたロックグラスだ。
所謂業務用やキャンペーン用のそれらは、スコッチの水割りなら水割り、ラムの「モヒート」ならその用途ズバリなものばかりなので、使い勝手は言わずもがな、それにしっくりなのだ。