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仲野 徹

仲野 徹/大阪大学大学院医学系研究科教授

大阪が生んだ「世界一おもろい生命科学者」が、みんな知ってるようで意外に知らない「カラダと健康」についてフレンドリーな語り口で明らかにしていきます。

最終回 『養生訓』を読んでみた
:その4

「『養生訓』を読んでみた」シリーズ、いよいよ最終回は第六巻の後半「医を択(えら)ぶ」であります。

『養生訓』の著者・貝原益軒先生、虚弱だったけれども、むちゃくちゃに賢い子どもでした。正式に学校へ行った訳ではなく、兄に教えてもらったことになっています。けど、たぶん兄ちゃんよりもはるかに賢かったでしょうから、むしろ自分で勝手に勉強していたような気がします。

 18歳で福岡藩の藩主・黒田忠之に仕えるも20歳で逆鱗に触れて浪人。忠之が短気だったのが原因とされていますが、なんかしでかしたんでしょうね、やっぱり。7年間もの浪人生活となりますが、朱子学を学んだり、江戸にいた父の元で医術を学んだりしています。

 藩主が光之に代替わりして再度召し抱えられ、今度は28歳から京都遊学を命じられます。破格の厚遇ですから、いかに光之が益軒に期待していたかがわかります。それに応え、益軒は、たくさんの学者や文人と交流して自分らしい学問を形成し、7年後に帰藩します。

 計14年間も心の赴くまま、ぐれもせず学んでいたわけです。よほど勉強好きやったんでしょうな。召し抱えは藩医としてだったのですが、実際には医業ではなくて、朱子学の講義や朝鮮通信使への対応といった仕事につきます。

 江戸時代ですから、医師免許などというものはありません。現在は、医師国家試験で最低限の能力は担保されています、というか、されていることになっています。が、当時の医者は、自らが名乗れば医者です。それこそ玉石混交だったでしょう。
 そこへもってきて、壮絶に頭がよくて医術も学んだ益軒です。不勉強な医者や頭の悪い医者が我慢なりませんでした。医者のあり方やおこないに対して厳しいことを書きまくっています。

「保養の道は、みずから病を慎むのみならず、また医をよくえらぶべし。」
 まず、この言葉から始まります。養生には、病気になりにくいように用心するだけでなく、医者を上手に選ぶことも大事である、ということです。いくら用心したところで、何らかの病気に罹ってしまうのは世の必定ですから、当然です。そして、
「医をえらぶには、わが身医療に達せずとも医術の大意をしれらば医の好否をしるべし。」
と続きます。
 自分自身が医者でなくとも、医学のことをおおよそ知っていれば、医者の良し悪しはわかりますよ、ということです。

 ある程度の医学リテラシーを身につけておくことが大事なのは、江戸時代でも現在でも同じです。おそらく、多くの人もそう感じておられるのでしょう。そうでなければ、拙著『こわいもの知らずの病理学』(晶文社)が7万6千部も売れるはずがありません。もし未読の方がおられましたら、いまからでも遅くはありません。ぜひお読みください。もちろん、これは勝手な宣伝です。

 えらそうな言い方になりますが、すごくインテリジェンスが高い人なのに医学知識はこんなにひどいのか、と思うことが結構あります。医学は日進月歩ですし、中学や高校で積極的に教えられるわけではありますから、やむを得ないところではあります。しかし、それではいざという時に困ります。

「医は仁術なり。仁愛の心を本とし、人を救うを以て志とすべし。わが身の利養を専に志すべからず。」
 医者にとっては人を救うことが大事なのであって、儲けなど考えてはいかん、ということです。こういうことがわざわざ書かれているというのは、銭金を考える医者がたくさんいたということであります。

「医の世に生活するは人の為のみ、おのれがためにあらずということを其業の本旨とす。」
 似た言葉ですが、こちらは養生訓ではありません。「扶氏医戒之略(ふしいかいのりゃく)」、医師が守るべき戒めとして緒方洪庵が門人に示した12箇条の最初の文章、もともとはドイツ人医師フーフェラント(=扶氏)の言葉です。フーフェラントは1762年、益軒は1630年生まれですから、益軒の方が100年以上も前の人です。益軒先生、さすがです。

 次は医者になるための条件です。
「医を学ぶ者、もし生れ付き鈍にしてその才なくんば、みずから知りて、早くやめて医となるべからず。」
 今度は、アホは医者になったらあかん、ということです。いまは医学部入試の偏差値がえらく高いので、それなりの能力があるのだろうという気がします。が、医学部で教えていて思うのは、大学入試で問われる能力と医者に必要な能力は必ずしも同じではない、と思うことがよくあります。これはボヤキだすとキリがないのでやめておきます。

「諸芸をまなぶに皆、文学を本とすべし。文学なければ、わざ熟しても理にくらく、術ひきし。ひがごと多けれど無学にしては我があやまりをしらず。医を学ぶに、ことに文学を基とすべし。文学なければ医書をよみがたし。」
 何を学ぶにも、言葉に精通しなければダメ。そうでなければ、上手くやっているように見えても理屈がわかってないので大したことはできない。無学だったら、自分が間違えたことすらわからない。医学を学ぶにはなにしろ医学書を読まなければならない。といったところです。これも今に通じることです。

 いまだに医学部は人気があって、偏差値も高い。不思議でたまりません。もちろん、頭の良さはある程度必要です。でないと、命を預けるわけにいきません。しかし、それと仁術を目指したい気持ちというのは決してパラレルではないはずです。高校での成績優秀者の多くが益軒先生のいうような仁術を目指す、などというのはいささか不自然ではありますまいか。

 こういうことを言うと、医学部の教授にあるまじき発言などと思われるかもしれませんが、能力の高い子がこぞって医学部を目指すというのは、社会にとって必ずしも望ましくないと思っています。優秀な人材が弁護士と医師に流れるような国は次第に活力を失うのではないかというのを聞いて、えらく納得したことがあります。

 医師も弁護士も、もちろん、高度な知的能力が必要とされますし、社会の役にたつ仕事です。しかし、であります。社会の進歩という観点からいくと、両者ともに寄与する度合いが決して高くはありません。なので、優秀な人材は、もっとイノベーティブな領域に進むべきではないかと思うのであります。ひいてはそれが国力の充実につながるのではないでしょうか。

 一方で、難関大学の入学試験や医師国家試験、司法試験に合格する人が、本当に能力が高いのかという問題もあります。こういった試験はどれも、基本的には記憶とパターン認識で、極めて一面的な評価にすぎませんからね。

「医は三世をよしとする事、礼記に見えたり。医の子孫、相つづきてその才を生れ付きたらば、世々家業をつぎたるがよかるべし。如此なるはまれなり。」
 中国で紀元前にまとめられた儒教の本『礼記(らいき)』には、三代続いた医者が良いと書いてある(らしい)。その時代の医者となると、きわめて限られた治療法しかなかったでしょうから、技術や薬を代々受け継いでいたからでしょう。しかし、医術が進んだ現代では、そういうわけにはいきません。

 さらに、ただし才能があれば継いだらいいけれど、そのようなことはまれである、と一刀両断です。いろいろと差し障りがあるような気がするので書きませんが、思い当たる節がないでもありません。江戸時代の医師は世襲制が相当強かっただろうに、益軒先生のこういう意見は極めてシャープです。

 今の日本で、医師の世襲率はどれくらいなんでしょう。「京都大学名誉教授の橘木俊詔氏らの研究によれば、医者の父親に生まれた男子のうち39%が医者になっていると推計されている。さらに、すべての医者のうち、親が医者である人の割合は36%にのぼる。」(「週刊現代」2017年12月23日号)らしいです。講義の時に軽く尋ねてますが、阪大医学部でおよそ2~3割です。私学だと5割を超えるところもざらでしょうから、全体としてはもう少し多いような気がします。

 もちろん医師の世襲が悪いと言っているのではありません。
子どものころから、患者のために働く親を見て、自分もそうなりたいという高いモチベーションの子は褒められるべきです。しかし、中には、親の期待が強い、あるいは、医師としてのステータスが欲しい、という子、資質として向いていない子も、いたりするのではないかという気がします。

「医となりて医学をこのまず、医道に志なく、また医書を多くよまず、多くよんでも精思の工夫なくして理に通ぜず、あるいは医書をよんでも旧説になずみて時の変をしらざるは賤工なり。」
 これは医学生に強く言いたい。子どもの頃から大学入試までは一生懸命勉強するけれど、入学したら勉学のスピードが落ちる子や、中には全く怠ける輩もいます。生物学を学んでこなかったので、医者にはなりたいけれど医学には興味がないというのまでいたりします。アホか。

 新しい説を知らねばならぬという最後の文章なんぞは、当時よりも今の方がはるかに重要です。昔は経験のある医師の方が腕が高いと思われてました。しかし、医学の進歩はすさまじく、いまや決してそうではありません。新しい知識や技術の習得は、若者の方が得意です。必ずしも経験が物を言う時代ではなくなってきたのです。

 時代の流れが速くなるというのは、結局はこういうことなんでしょう。しかし、経験を重ねるというのがあまり意味をなさない時代っちゅうのは、ほとんどの人にとっては、ちょっと生きづらいような気がします。まぁ、いうても詮ないことですが。

 医学は言うに及ばず、医学教育もグローバルです。というか、そうあるべきです。当然ながら、医学の共通言語は英語です。論文の多くは英語ですし、教科書の出来も、日本語のものに比べると定評ある英語のものが圧倒的です。

「古学を好まざる医生は、唐の書はむずかしければきらいてよまず、かな書の書をよんで医の道これにて事足りぬと思い、古の道をまなばず。これ日本の医の医道にくらくして、つたなきゆえんなり。」
 江戸時代は漢方でしたから、中国からの文献が重要でした。「かな書きの書をよんで……」というのは、日本語に訳された本を読んでええと思ってたらあかん、ということです。そして、60冊近くもの中国の医学書があげられてます。う~ん、益軒先生のハードルは相当に高いようです。

 私は、鬼のように思われながらも、講義では英語の教科書を使っています。ひょっとしたら、益軒先生に褒めてもらえるかも。医学生に人気のある教科書は、わかりやすさばかりが強調されて、学問体系として医学を学ぶようにできていません。国家試験に通らないとどうしようもないから、そういった本に人気が出るんでしょうけれど、そんな本だけで勉強して将来的に大丈夫かという気がしてなりません。

 結局のところ、「学問に王道なし」ということに尽きるのです。たゆまず学べ、本を読め、それも翻訳だけでなく原典にあたれ。益軒先生のご意見、基本的なところでは、今にも通じることばかりです。


 さて、7年あまり、計33回にわたって書いてきた「(あまり)病気をしない暮らし」、これにておしまいです。図らずも、『養生訓』を紹介しきったところで終了とあいなりました。4回にわたって紹介したように『養生訓』には現在にも参考になることもたくさん書いてあります。普段はできるだけ節制して、調子が悪いと思えばいいお医者さんにかかる。いつの世も「(あまり)病気にならない暮らし」をするには、それしかありません。当たり前すぎるけれど、意外に難しいことなのかもしれません。
 と、まとめると、賢く有終の美を飾れたような気がします。長らくのご愛読、誠にありがとうございました!

貝原益軒; 貝原守一. 養生訓 (Kindle の位置No.1763-1765). Kindle 版.

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