住ムフムラボ住ムフムラボ

平尾 剛

平尾 剛/スポーツ教育学者

元日本代表ラガーマンが書き下ろす「スポーツは、だから面白いし飽きない」。 読めばもっと身体を動かしたくなる、面白いゲームが観たくなること必至。

最終回 スポーツの言葉、スポーツと言葉

 今回で25回目となる本稿をもって連載が終了することとなった。サイトのリニューアルにともなう改編のようだ。サイトの一角を間借りしている書き手としては大家の事情を汲むより仕方がないわけだが、足掛け8年も続けてきた連載がなくなるというのは、やはり寂しいものである。

 どの連載もそうなのだが、あるていどの時間をかければ媒体に応じたモードが書き手のうちに作られる。たとえば新聞ならちょっとカタめの文体が求められるから、生活言語や平易に過ぎる言い回しはできるだけ避けなければならない。さらには使用できない漢字や表現もあって、その制約のなかでどこまでこちらの言い分をまとめられるかに頭を使わないといけないわけだ。僕のなかで新聞という媒体で書くことは、「かしこまる」という表現がつきづきしい。

 慌てて付け加えると、新聞が不自由な媒体だと言いたいわけではない。
「自由」を感じるためにはそれなりの制約が不可欠である。「なにをやってもいい」というまったく白紙の自由は、主観的には不自由でしかなく、制約を受け入れた上での創意工夫において、人は自由を感じるものだ。制約を守りながらどこまでのびやかに書けるかに尽力するなかで、書き手は主観的に自由を得る。つまり、他と比較して制約の多い新聞という媒体で書くことからも、書き手は十分に自由を引き出すことができる。

 オモシロいことにしばらく連載を続けていると、あるときから制約が気にならなくなる。意識せずともほとんど自然体で、「自由」にテクストを編むことができるようになる。媒体の特性にからだが馴染むというか、置かれた環境にこの身をねじ込んでいくうちにそこで求められる技法が知らず知らずのうちに身についてゆく。そこでどう振舞えばよいか、どのようにパフォーマンスを発揮すればよいかを、からだがその深いところで理解するのだと思う。

 無意識的にというか、ほぼ自動的に構えが定まり、書き手としてのびやかに言葉を紡ぐことができるこの感じを、僕は「モード」と呼んでいる。

『住ムフムラボ』で書くにあたって、連載当初から念頭にあった制約は、コラム欄に名を連ねる豪華な執筆陣である。その末席で書かせてもらえるうれしさがある反面、「ちょっと背伸びせんとあかんよな」という重圧が胸の内に入り混じる。この葛藤が、ここで執筆するモードをかたちづくったように思う。かつて日本代表選手に選ばれて初めて試合に出場したとき、この上ないよろこびと「こんな自分で大丈夫やろか」という一抹の不安を感じたが、あのときの心境にとてもよく似ている。「相反する心情に引き裂かれる」というのは、新しくなにかに挑戦する際にはついてまわるもので、その葛藤を経てそれぞれの取り組みに求められるモードはつくられていくのだと思う。

 それからコラム執筆においては編集者との良好な関係性もまた、モードをかたち作る一因として欠かせない。
 ここは言い切ってもいいと思うのだが、すべての書き手は編集者なくして文章を完成させることができない。編集者の手が入らないテクストは、往々にして独りよがりで読むに耐えない原稿となるからだ。そのときどきの社会情勢やテーマにまつわるトピックスを伝えてくれるのもありがたいし、なにより僕という書き手を客観的な視座から冷静にみてくれていることで、安心して筆が運べる。

 もちろん編集者にもよりけりで、てんでピント外れの加筆を要求されることもないわけではないが、この齟齬はほとんどの場合、書き手との相性というか関係性によって生じると僕は思っている。現役時代を振り返れば、どうしてもパスのタイミングが合わない選手と一緒にプレイしたこともあるが、その原因は競技能力の優劣という属人的要素にあるのではなく、単に相性が合わないという関係性にあった。

 客観的視座をもつ編集者の目が、新たにテクストを書くときに僕の意識に介入してくると、いざ原稿が進み始めたときに不思議と筆が進む。まるで書き進むべき道の先を明かりで照らしてくれるように感じられるのだ。これは信頼に足る編集者のおかげである。

 編集者は原稿を最初に読む立場にある。僕は、最初の読者である編集者を驚かせようと推敲する。そう画策するのは信頼しているからこそで、自分に向けてくれている信頼を裏切ってはいけないという焦りもありながらも、ただただ驚かせたいという一心で書くことは、いたずらを企てる子どもさながらに楽しい。

 根本的に書くという作業は己と向き合うことであり、心の奥底に眠っていて自分でも気がついていない「根本思想」を掘り下げるという意味では、どこまでいっても孤独な作業に他ならない。でも、よき編集者という伴走者がいれば、書くという知的作業に寂しさを感じなくてすむ。むろん、書き手に去来するこの孤独感を手放してはいいものが書けないわけだが、そこはかとなく感じられる編集者の気配が与えてくれる安心感が、この「一人旅」に安心して没頭できる。

 書くこと自体を楽しめているのは信頼に足る編集者のおかげだ。これは、これまで書き手としてやってきて経験的につかんだ実感である。
 本コラムへの寄稿はずっと楽しかった。それは担当編集者のよりよき導きがあったからで、ここで書くに際して獲得したモードは実に快適であった。この場を借りてお礼を申し上げたい。


 さて、ここでは「スポーツ、観るする」というテーマで書いてきた。大雑把に括れば、「スポーツに関すること」を書き綴ってきたわけだが、その背景には様々な媒体から見聞きする「スポーツを語る言説」への物足りなさがあった。

 その多くが、試合結果や各選手のパラメーター(変数)などデジタル的なもの、選手の年俸や観客動員数などの商業主義的な言説ばかりで、スポーツの実相というか本質が置き去りにされていると、ずっと感じていた。やや踏み込んだ内容だったとしても、よく読めば家族との関係を含めた選手の個人ヒストリーまでで、まるで芸能人を評するかのような視点から綴られた物語には、正直なところ辟易としていた。

 スポーツってそんなもんやない。
 もっと語るべきこと、書き残すべきことがあるはずやねん。
 ずっとそう思っていた。

 ただ、そう思ってはいたものの、ではなにを語り、書き残すべきかについては曖昧模糊としていた。書かなければならないという衝動があるだけだった。その衝動のままに、ほとんど勢いで書き進めてきたのがこの連載である。詳細な見取り図のもとに完成を試みたのではなく、目指すべき方向性だけを頼りに書き進めてきたわけで、たとえるなら暗闇のなかを、懐中電灯を頼りに歩んできたようなものだ。

 なんだ、「行き当たりばったり」で書いてきたのか。そう揶揄されても返す言葉がないけれど、しかし「ものを書く」ということは本質的に考えれば「そういうもの」なのだと僕は考えている。
 書き手は四方八方に広がる制御不能な思考の軌跡を、断片的に言葉に置き換えていく。その集積がテクストであり、読者に伝わるようにかたちを整えながら出来上がったそれを通じて、書き手自身は事後的に自らの考えを知る。それが結果として読者に伝わる。
 書き手のうちに秘める考えを、書き手本人も自覚できていないその考えを言葉で象り、そうして生まれたテクストを読者とともに堪能し、ときに吟味する。つまり、テクストとは本質的に書き手と読者の共作だと思うのだ。


 おっと、つい熱くなってしまった。このままだとテクスト論を書くことになってしまうので、話を戻す。「スポーツを語る言説への物足りなさ」について書いていたのだった。

 これまでを振り返ると、7年半にわたって僕が書こうとしてきたのは、これまでにない「スポーツを語る言説」である。元スポーツ選手の研究者という立場から、スポーツにこれまで当てたことのない角度からスポットライトを当てようとしてきた。経験者だからやはりラグビーにまつわることについてはたくさん書いたが、それ以外に、元プロ野球選手であるイチローの取り組みや、男女ともにサッカー日本代表の戦い方についても私見を述べた。

 ハイライトはやはり、『第14回 反東京五輪宣言』(2017.11.22)だ。2020年東京オリンピック・パラリンピックは返上すべきだと書いたこの回には、想像を超えるたくさんの反響をいただいた。元スポーツ選手という立場から反対の意を表明するにあたっては、踏み切るまでの葛藤が大きく、書くかどうかを最後まで悩んだ。「清水の舞台から飛び降りる」という心境だっただけに、個人的にはとても印象に残っている。

 それから平尾誠二氏について書いたコラム『第11回 恩人の死』(2016.11.10)も印象深い。生前は公私ともにお世話になった恩人だっただけに、かんたんに言葉にしたくない、してはいけないという思いがあった。言葉にしたことで失われてしまうものがある。そんな気がして、書くのがとても怖かった。でも亡くなって以降、テレビを始めとする各メディアが伝える平尾氏の人物像がいかにも表面的に映った。僕が知っている「平尾誠二」はこんな人じゃない。このままだと視聴者のあいだで消費され、「亡くなった有名人のひとり」として匿名化されてしまう。その恐怖が、書くことへの恐怖を上回った。

 もちろん僕の知る平尾誠二もまた一面的に過ぎないのだけれど、たとえそうであっても、生前に深く関わった者の一人としてその思いは書き残しておきたい、書き残しておかねばならない。そう思うに至った。

 油断をすれば飲み込まれそうになる感情を抑え、努めて冷静に書こうと心がけたあの日々が思い出される。書き続ける日々では、筆を置いてしばらくすると涙が溢れた。食事中、入浴時に、ふと込み上げる。抑えつけた感情は制御不能となり、こうして発現するのだと知った。

 平尾さんのことだけでなく、ここまでわりとプライベートな領域にまで踏み込んで書いた。
 それには明確な理由がある。
「元スポーツ選手」としてその内側からスポーツを捉える視点を差し出すためである。当事者だった者からスポーツはどう見えているかをできるだけ詳細に記述し、それを読んだ者が追体験することでなにかが明らかになるかもしれない。外側から眺めるだけでは見えない景色を、かつてはそこにいた者が過去を思い出し、また現在のあり方を見つめつつ、その輪郭を描いてみせることで、それを見た者のなかになんらかの気づきが生まれるかもしれない。

 そんな淡い期待を抱きながら、照れ臭い気持ちを抑えて書いてきた。
 つまるところ僕は、スポーツを語る言葉をふくよかにしたい。その思いを、「僕ならこうして書くんだけど」という実践を通じて伝えたかった。これに尽きる。うまく伝わったかどうか、気づきが得られたかどうかは読者の判断に委ねるしかないのだけれど。

 これが『住ムスムラボ』でしか書けなかったことである。よき伴奏者に寄り添われながら、「一人旅」を続けるなかでたどり着いたあらたな境地は、とても見晴らしがよい。まだまだここで書き続けたい気持ちが強く、まことに名残惜しいのだけれど、その気持ちを振り切ってここで静かに筆を置くことにしたい。

 長らくご愛読いただき、本当にありがとうございました。
 またどこかでお目にかかりましょう。

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