住ムフムラボ住ムフムラボ

平尾 剛

平尾 剛/スポーツ教育学者

元日本代表ラガーマンが書き下ろす「スポーツは、だから面白いし飽きない」。 読めばもっと身体を動かしたくなる、面白いゲームが観たくなること必至。

第23回 「ラグビーをする」ことのおもしろさ

 ラグビーブームが続いている。
 昨年のワールドカップで大いに盛り上がったムードそのままに、今年1月に開幕したトップーグにはたくさんの観客が詰めかけている。前売りチケットが軒並み完売しているため、当日販売のチケットを求めたファンが窓口に押しかけ、長蛇の列ができたスタジアムもあったという。

 実際に私も、1月26日(日)に神戸ノエビアスタジアムで行われた神戸製鋼コベルコスティーラーズvsサントリーサンゴリアス戦に足を運んだ。ファンとともに試合を観ながらイヤホンマイクをつけての実況および解説をし、試合後にはワールドカップを振り返る趣旨のトークイベントにゲスト出演した。

 観客席から見たスタジアムには今まで見たことのない景色が広がっていた。あふれんばかりの観客が席を探してそぞろ歩き、上層にはなんと立ち見までいる。のちに発表された観客数は26312人で、これは神戸で行われたトップリーグの試合で最多だという。10000人を超えるのがやっとだった私の時代からはとても想像できない数字だ。

 ワールドカップが南アフリカの優勝で幕を閉じたのが11月2日(土)。日本国内リーグであるトップリーグが開幕したのは翌年1月12日(日)。2ヶ月以上も期間が空くためブームが冷めてしまわないかと懸念したが、どうやら杞憂に終わったようでホッとしている。

 そういえば年末年始のテレビ番組で日本代表選手たちをよく見かけた。代表キャプテンのリーチ マイケル選手(東芝ブレイブルーパス)、「笑わない男」と呼ばれる稲垣啓太選手(パナソニックワイルドナイツ)、涙もろい田中史朗選手(キャノンイーグルス)に、ファンション雑誌にも掲載されるほどの容姿が人気の田村優選手(キャノンイーグルス)や山中亮平選手(神戸製鋼コベルコスティーラーズ)など、彼らを目にした人は少なくないだろう。

 スーツ姿の彼らはドキュメンタリーからバラエティまで、ありとあらゆる番組に出演していた。本来なら練習や試合に専念すべき彼らが、「広報活動」に精力的だったことも、この度のブームの継続を後押ししたものと思われる。
 まったくもって頭が下がる思いだ。


 いつだったか、妻と娘と3人で近所を散歩しているとき、微笑ましい光景が目に飛び込んできた。自宅近くの池のある公園で、小学校低学年と思しき子どもたちがラグビーボールで遊んでいたのだ。しかもその子どもたちは、赤白横縞の日本代表ジャージを身につけている。夕暮れ時の、傾く陽射しを浴びながら所狭しと走り回っているその様に、ふとベビーカーを押す手が止まった。

 公園脇の道路から木々を隔てて見ていたから、声はほとんど聴こえない。でも、おそらく互いに声を掛け合いながらラグビーに興じていたのだろうと思う。
「おれ、リーチマイケルな」
「じゃあ、ボクは姫野にしよ」
「わたし松島! やっぱ福岡にする」
なんてやりとりをしていたのかもしれない。

 公園で子どもたちが「ラグビーごっこ」をしている光景なんて、いつか訪れたニュージーランドでしか見たことがない。まさか日本でそれを見ることになろうとは、想像もしていなかった。そうなればいいなと、漠然とした願望は抱いてはいたものの、現実味は薄いとどこかで諦めていた。長らくラグビーに携わり、引退後もラグビー普及のために尽力している身でありながら、情けない限りだ。

 理想論を語るのは、そう難しくはない。大きな目標を掲げることはわりと簡単にできる。でもいざそれを実現するとなれば、それに至るまでのプロセスを明確に描かなければならない。そこから逆算して、具体的にどのようなことに取り組まねばならないのかをあぶり出す。さらにそれを細分化して導き出された「日々の取り組みや心がけ」を継続しなければ、描いた理想は達成できない。つまり現実は変わらない。

 こと理想論は逆風にさらされる。大衆に嘲笑されてもそれを一顧だにしない、強靭な忍耐力がいる。信念、あるいは使命感といってもいい。理想を現実化するために当初に抱いた信念を持続するというのは、言葉で言うほど簡単ではない。時間が経つにつれてどうしても薄れゆく意欲には、たえず「水やり」をする必要がある。意欲というやつは、つい油断をすれば妥協や打算に飲み込まれて枯れてしまう。

 僕たちの時代には「ワールドカップで決勝トーナメントに出場する」なんて、夢に思えた。でもそれが現実のものとなった。選手をはじめとする関係者一人一人の努力の積み重ねが理想を現実化した。あの日、楽しそうにラグビーごっこをする子どもたちを見て、今回のラグビー日本代表が成し遂げたことの偉大さを、まるで雷撃に打たれるかのように実感したのである。

 彼らに続けとばかりに、今の僕にできることはなにかを考えてみた。ラグビーを広く社会に広めるためにできることはなにか。それはラグビーの言語化だろう。元選手の研究者という立場から、複雑なルールを噛み砕いてわかりやすいように伝えること、あるいはノーサイド精神などラグビーに特有の文化について、その歴史を踏まえながら説明すること、そして選手経験をもとにからだにまつわる現象を言葉に置き換えることだ。

 善は急げ、だ。骨身を惜しんで今日のブームを築き上げた、現日本代表選手の奮闘に応えるべく、早速それを試みてみたい。ラグビーの競技特性が選手や子どもに及ぼす影響、平たく言えばラグビーを「すること」のオモシロさについて、ちょっと書いてみたい。


 実際にラグビーをやってみる、すなわちラグビーのプレイヤーになるまでには、ほとんどの人にはハードルが高いはずだ。「観る」から「する」に、子どもたちならば「ごっこ」から「競技」へと、その関わり方を深めてゆくためには、やはりプレイヤーだからこそ得られるオモシロさをご説明しなくてはならない。

 タックルとかスクラムとか、身体接触が許されているラグビーは、相当な痛みが伴う。どちらかというとラグビーは観るスポーツであって、するスポーツじゃない。そう思っていませんか?
 確かにからだとからだがぶつかるんですから、痛くないことはない。だけど、その痛みをはるかに上回るオモシロさがラグビーにはあるんです。

 もし痛みを伴うコンタクトプレーに抵抗があるなら、まずはタッチフットボールから始めてみていただきたい。タッチフットボールでは、タックルの代わりに手で「タッチ」をすればいい。つまりタックルは不要。しかもスクラムやラインアウト、ラックやモールもありません。いわば「ぶつかり合いなしのラグビー」です。

 アタックでは、通せんぼをする相手のタッチから逃れるためにステップを踏むか、パスをつないでトライを目指す。ボールを持った鬼ごっこ、といえば想像しやすいかもしれません。人数も、5人対5人くらいからできます。

 ご存じのように、ラグビーには「前方へのパスが禁止」といったルールがあります。つまりパスは後ろか真横にいる味方にしかできず、いったん後退するというリスクを考えながら前進を図らなければならないんですけど、これにはちょっとしたコツがあります。

 立ち止まった状態でパスを受けると、パスをすればするほど後退してしまう。だから「走りながら」パスを受けなければなりません。しかも、タッチから逃れるために後方に逃げれば、パスができる味方選手がだんだんいなくなる。後ろに逃げることなく常に動いた状態でプレーするのがラグビーです。
 ボールゲームとしてのオモシロさを知るために、まずは痛みを伴うコンタクトの要素を除いたラグビーである「タッチフットボール」が最適です。

 いやいや、ラグビーといえばやっぱりコンタクトプレーでしょ。タックルしてみたい、味方同士でモールを組んで押し込んでみたい、ボールを持って思い切りぶつかってみたいという人も、当然いるはず。そういう人たちはすぐにでもラグビーを体験してほしい。コンタクトプレーって本当に奥が深いんですから。

 たとえばフォワード、バックスにかかわらずすべての選手が行うタックルは、ディフェンスの際に相手の前進を阻むためのコンタクトプレーで、ラグビーで最も大切だとされています。タックルを怖がる選手は、チームメイトからの承認が得られません。恐怖心を乗り越えて、全速力で走る相手の足元に飛び込む、あるいは腰から胸元をめがけてぶつかり、相手の推進力を止める。そして隙あらば相手からボールを奪い取る。

 このタックルですが、タイミングよく入ると、不思議なことにまったく痛みを感じないんです。むしろ気持ちがいい。体重差があっても、相手がトップスピードになる前に間合いを詰めるとか、真正面じゃなく、やや斜めか真横から入れば、思いのほか容易に相手を転かすことができます。肩でヒットし、首と連動させて相手のからだをロックしたあと、体幹部分を捻らないように脚をかけば相手は倒れる。

 次にモールですけど、これは味方同士が身を寄せ合って一つの塊になり、全員が息を合わせて押し込むプレーですね。試合では、あと数メートル押せばトライというゴール前でよく見かけると思います。
 言ってみれば「おしくらまんじゅう」なんですけど、この「身を寄せ合う」というのが一筋縄ではいかないのです。ただからだをくっつけるだけでは、強いモールは組めません。ディフェンス側の選手に割られない(分断されない)ために、なるべく隙間をつくらないように密着しないといけないのですが、この密着の程度には絶妙な身体感覚が求められます。

 密着度を強くしようとしてついもたれかかってしまうんですね。つい頼ってしまう。もたれかかられた側は、当然その味方の体重を支えなければなりません。余分な負荷がかかる。味方からの、体重の幾分かを支えた上で前方へ押し込むのは至難の業です。だからディフェンス側の重圧を受けたときに、そこからほころんでゆく。塊はこの「蟻の一穴」から崩れます。
 なので、まず一人一人が「自立」しなければなりません。自立した個が、そっと「寄り添う」。そうすれば強いモールが作れます。

 さらにその塊を強固にするためには、「寄り添う」からさらに踏み込んで、お互いに自分のからだを「預け合う」という感覚が必要になります。この感覚はさらに微細です。「自分と味方のからだが接触している面に対して均等に圧をかける」という感じでしょうか。からだを通じて伝わってくる融和的な「圧」に対して、過不足なくそれと同等の力をかけ返す。どちらか一方が強ければ、ディフェンス側の重圧を受けたときに、モールの塊全体が左右に振れてしまう。その結果、まっすぐに押せない。場合によってはホイールして、そのまま崩れてしまう。

 モールは味方選手との接触ですから、いわば「助け合い」です。協調するには、もたれかからずに自立することと、からだの接触面で力のかけ方を工夫することが求められる。
 モールを組んでいるときの味方のからだから伝わってくる圧は、「融和的」でじわっと温かい。これに対してタックルは相手の前進を阻み、ボールを奪うために行う「攻撃的」なプレーだから、ぶつかった瞬間に伝わってくる圧は鋭利で、冷ややかです。同じコンタクトプレーでも、「攻撃的」か「融和的」かで明らかに体感が違う。

「攻撃的」なコンタクトは格闘技全般でも経験できると思うのですが、「融和的」なコンタクトはラグビーに特徴的です。ラグビーに限らず他のチームスポーツでも試合前には円陣を組みますよね。肩を組むなどからだを接触させ、仲間同士で一体感を高めて士気が上がる。モールの体感はあれに近い。円陣を組んだことのある人は、そのときの身体実感を思い出せば、なんとなく想像できるかなと思います。

 モールと同じようなプレーにスクラムがあるんですけど、僕はバックス出身で、一度もスクラムを組んだことがありません。体感をもとに説明することができないので、ここでは自重しておきます。ただ、フォワード経験者、とくにスクラムの最前列のプロップ、フッカーに訊くと、もっときめ濃やかな身体感覚が必要とされるようです。モールとは違い、組み方が決まっているから、より複雑なんだろうなと想像しますが、実際にはどうか。このあたりはぜひ、フォワード経験者に話を訊いてみてください。


 ここまでざっとラグビーをすることのオモシロさについて書いてきた。本当によくできたスポーツだなとあらためて思う。「ボールを使った格闘技」と称されるラグビーから学べることには、類的な叡智があるように思う。

 ラグビーにおけるランニングやパスに求められるのは、前進するためには立ち止まらず動き続けること。味方へのパスは後退するというリスクが伴うも、成功すれば大きくゲインできること。これってそのまま人生の教訓になる。

 腕組みをしてその場で考え続けるだけでは事は成し得ない。机上で論理を組み立てるのではなく、現場に身を置きながら行動し続け、そこで生じた課題をその都度、解決してゆく。
「考えたのちに行動する」のではなく「動き続けながら考える」という構えは、そのまま生きるという営みに投影できるのではないかと思う。

 ラグビーをすれば思考の瞬発性が高まる。直観、つまり「当てずっぽう」ではないひらめきを生むための知性を、ラグビーは涵養する。
 ただこれはラグビーだけでなく他のゴール型競技でも、それぞれの競技特性に応じて学べる。先にも述べたように、ラグビーに特徴的なのは身体接触が許されていることである。

 接触は、コミュニケーションの原型であるといわれている。文化や慣習によって多少の違いはあるが、私たちは挨拶するときに握手やハグやキスをする。これは互いの親密を図る行為で、たとえば握手のときの力の入れ具合で、その人となりがわかったりする。手の平に感じる圧が融和的か攻撃的かでそれを判断していると考えれば、モールやスクラムやタックルをすることで、この身体的コミュニケーションの感度は深まるはずだ。

 圧、つまり痛みへの想像力がたくましくなるという点も見逃せない。コンタクトプレーは、痛みとつき合いながらでしか上達しない。「無茶」は禁物だが、多少の「無理」ならできる。この匙加減が、からだからのシグナルである痛みと折り合うなかで養われる。自らの痛みとつき合ううちに、他者が感じる痛みの程度にも想像が及ぶはずだ。

 からだの痛みはどこまでも主観的だ。だから想像するしかない。他者への思いやりという心構えは、痛みへの想像力をたくましくすることで身についていくと思うのだが、どうだろう。

 コミュニケーションというとすぐに言語によるやりとりを思い浮かべるが、実はからだとからだの交流にその源泉がある。だから語彙に乏しい子どもにこそ、ラグビーを経験してほしい。他者の思念を感知する豊かな感受性を、ラグビーのコンタクトプレーから育んでほしい。

 競争に勝つことで得られるものも、確かにある。勝利がもたらす自信は大切だ。だが、ラグビーをすることでもたらされる真のオモシロさは、ここにあると私は思う。体験だけでもいいので、ぜひ一度はプレーしてみてほしい。

コラムニストから選ぶ

PAGETOPへ