植物の葉、実、枝、花から色を移す “草木染”という手法で絹糸を染め、しなやかに織り上げる染織家・藤井繭子さんを訪ね、八ヶ岳山麓のアトリエへ。多くの方々から愛される藤井さんの着物地の魅力、そして豊かな自然の中で創作活動を続ける理由を探ります。
自然が織りなす光景が閉じ込められた美しい縞模様。
アトリエから程近い、明るく開けた雑木林。ケヤキ、クヌギ、カラマツなどに囲まれた小道をしばらく進んで行くと、聞こえてくるのは鳥の声、風で揺れる木々の音、川の水音、そして枯れ葉を踏みしめる音だけに。こういった雑木林が周辺にいくつかあり、藤井さんは時間を見つけては足を運んでいるそうです。
「自然を感じるために来ています。今の時期だと、たとえばこうやってサクッサクッと枯れ葉を踏みながら歩いていく感覚も、私の仕事である染めや織りにつながっていくと思っているんです。子どもを習い事に連れていき、終わるのを待つ間も近くの森林を散歩したり……、自然の中に身をおく時間が生活の一部になっています。」
次に見せていただいたのは、アトリエの隣にある“染め場”。ここで、庭や森林で採取した枝、葉、木の実などを水から煮出して色素を抽出し、その抽出液に糸を浸して染めます。棚には、出番を待つ植物のストックがぎっしり。
「染色のはじまりは、人が目の前の花や葉、実などを自分の体や衣に擦りつけたことだと言われています。“自然の美しい色を残したい”という彼らの原始的な感覚は私たちの中にも引き継がれていて、だから私たちは携帯で写真を撮る。それに加えて私の場合は、“糸に写し取る”ことで、それぞれの植物が持つ、その植物ならではの色を残したいと思っています。」
染めた糸を織って布にするためのスペースが、お隣のアトリエ。真っ白の壁と木製の家具やフローリングが調和した、明るく心地よい空間です。
藤井さんが主に手掛けているのは着物地。女性用の着物一枚をつくるのに必要な生地(=反物)の寸法は、幅約38cm・長さ約12mで、実際にはそれより長めに織るため、手元には端切れが残ります。大切に保管されている端切れを見せていただきました。
藤井さんの手による反物は、縞と無地が中心。優しく透明感のある色が並ぶ細やかなストライプはうっとりするような美しさで、洗練されていながら温かみも感じます。
「植物の色を最大限に生かす織り方は何なのか、私なりに追求した結果、たどりついたのが縞と無地でした。目指しているのは、着物が主役になるのではなく、着てくださる方を優しく包み込み、その方の魅力を引き立たせるような織物です。」
この繊細な縞模様の配色は、あらかじめ綿密にプランを練るわけではないそうです。
「デザイン画を描いてみたこともありますが、その彩色した画にとらわれてしまい、うまくいきませんでした。染めた糸を並べながら、即興で組み合わせています。植物が秘めている色を大切にしたい私には、この方法が合っているみたいです。」
この縞をつくるプロセスで生きてくるのが、林や森を歩いている時間だと藤井さんは言います。
「たとえば今日歩いた雑木林だと、地面を埋め尽くす枯れ葉の合間から、鮮やかな緑の草がぽっと顔を出していましたよね。ああいう記憶の数々が、縞の配色を決めるとき、手がかりになるんです。華やかな花の季節もいいですが、枯れた枝葉も美しい……。自然は一年を通して、いろんな表情を見せてくれます。」
偶然出会った着物に魅せられ、草木染めと織り物の世界へ。
東京で生まれ育ち、自然や植物とはほとんど縁がなかった藤井さんが、植物の色の魅力と出会ったのは大学2年生のとき。
「当時はテキスタイルデザインを学んでいて、その関係で絹の作品を集めた展覧会を観に行ったんです。」
藤井さんがひと目見て心を奪われたのが、日本を代表する染織作家・志村ふくみさんの手がけた着物でした。その力強い色の数々と、美しいグラデーション……。
「作品自体のスケールも含めて、それまで漠然と抱いていた“草木染めのイメージとは違い、とても驚きました。すぐに拝読した、ふくみ先生の著書『一色一生』にも大いに感銘を受け、“私が進みたいのは、この道だ”と確信しました。」
念願がかない、大学卒業と同時に京都・嵯峨野の工房へ。志村ふくみさん、長女の洋子さんから染織の技術だけでなく、植物の命の色との向き合い方を学び、2000年に染織家として独立しました。アトリエを構えたのは神奈川県・鎌倉市。そこから拠点を山梨に移したのは2014年。心機一転されてのお話をお伺いしました。
全身で、自然を受けとめること。
藤井さんが、染織家として独立した際にアトリエをかまえた鎌倉から、山梨に移り住んだのは2014年。なぜ、拠点を移そうと思われたのでしょう。
「湘南エリアは海も山もあり、多彩な自然が楽しめてすごく好きだったのですが、もっと“自然が深い場所”で、染織と子育てがしたいという思いが徐々に強くなり、娘が2歳になるタイミングでこちらに移って来ました。
実際に暮らしてみて、“よかったなぁ”と思うのが冬の厳しさ。日夜、気温が氷点下になる環境では、あらゆる植物がいったん完全に眠るんです。その静まりきった世界に春にやって来ると、再び力強く芽吹いてくる。その姿に心から感動します。」
厳しい寒さは、染色にもいい影響を与えるといいます。
「あくまで私の主観ですが、植物の色がより一層澄んでいる印象。もちろん染色に欠かせない水が、良質な雪解け水だということも関係しているでしょう。
それからここは、“夜”も魅力。町中とは違い、しっかり暗くなるんです。真の闇を知ったことで、光や色をそれまでより敏感に感じられるようになったような気がします。」
この土地で暮らすなかで、藤井さんは“五感”をもっとも強く意識するようになったといいます。
「染色といえば色ですから、視覚が重要だと思われがちですが、視覚だけを頼りにしていてはできない仕事だと感じています。森を歩いていて聴いた風の音、栗のイガを拾ったときのチクチクとした感触、植物を煎じたときの香り……。そういったものすべてを察知する感覚が、染めにも織りにもつながるはずなんです。
五感を研ぎ澄ますには自然の中に身を置くことが有効だと思っていますし、全身で自然を受け止めたいと思っています。だから一人で森林へ入るのかもしれません。
五感の大切さは、移住する前から理解していたつもりですが、ここでの経験の積み重ねで、深く実感できるようになりました。」
山梨での暮らしが、藤井さんにもたらした変化はほかにも。
「モノの選び方がすごく慎重になったんです。家の周りにお店が少ないことが一因ですが(笑)。日用品でも、洋服でも、インテリアでも、それが長く大切にできるものなのか? 以前からそれなりに考えてはいましたが、その判断がより厳しくなりました。特に“経年による変化”を意識します。たとえば木でできているものなら、“何年か経つうちに、私たちの生活の中に馴染んで、いい色になっていくだろうなぁ”と思えるものを選ぶとか。」
そこにある色を永く残し、伝える。
取材中、とても印象的だったのは、藤井さんが“染料とした実際の植物”の記録も一緒に残していらっしゃること。アトリエには“裏庭のクルミの葉で染められた布と、その木のクルミの実”や、“草木で染めたストール、染料にした植物の標本、採取の記録をセットで収めたガラスケース”“ハクモクレンで染めた布と、その花を組み合わせた額縁”などが、アートのように飾られています。
「“この色は、この植物からいただいたのだ”という記録ですね。どこかで買ってきた染料ではなく、“そこにある植物”であることが私にとってとても重要なんです。“私がここに生きている”ということと同じように。物語は人にも植物にもありますから。
染める材料は、自分で採取するだけでなく、人からいただくこともあります。ご近所の葡萄園の方から“染めてみませんか?”と剪定したブドウの枝をいただいたり、“庭木を切らなければならないので、その色を織物にして手元に残したい”と染織を依頼されたり……。そんな人との縁も大切にしながら、これからも長く愛されるものをつくり続けていきたいです。」
最後に、お仕事について最近気づいたことを明かしてくださいました。
「自分の仕事のテーマは“残すこと”なのだ、とわかってきました。“植物の色を残す”。“染織という技術や文化を残す”。それに考えてみたら、私、20年前に自分でつくった着物を今も着ていているんですね。“そうか。私は長い時間を経ても残り、使い続けられるものをつくっているのだ”と少し自信になりました。」